この度、大柴牧師先生から「ウィーン留学時代の想い出を綴ってみては?」というお話を頂きました。1968年3月から1971年10月までのオーストリア・ウィーンでの留学生活(国立ウィーン音楽大学の声楽科、リート・オラトリオ科卒業)を通して見聞きしたこと感じたことなど、30数年前の記憶を手繰り寄せ乍ら、キリスト教の祭典などの様子も交えて、数回の連載とさせて頂くことにいたしました。今回はクリスマスについて認めました。
~ ウィーンのクリスマス ~
ウィーンを首都とするオーストリアは、1278年~1918年ハプスブルク家が支配。第一次大戦後共和国となり、第二次大戦後英米仏ソの4国による占領管理された後、1955年に永世中立を宣言して独立する事ができた国です。人口の約90%がローマ・カトリック、約6%がプロテスタント、その他がイスラム、ユダヤ各教などの信者といわれ、ローマ・カトリックを国教として祭日などの行事が決められています。クリスマスの2週間前頃になると街の中の広場にはクリスマスのための市(Christkindl Markt)が開かれ、子供たちへの可愛いプレゼントやツリーやリース用の材料などの屋台が軒を列ねます。温めたワイン(Gluehwein)等を飲ませる店も多く出て、大人達も上機嫌で夜遅くまで賑わいます。市庁舎前には特別立派なクリスマスツリーが飾られます(最近は1ヶ月以上も前からこの騒ぎが始まるそうで、昔を知るお年寄りからは顰蹙を買っているとのこと)。午後3時には暮れてしまう街にイルミネーションが施され、市電のパンタグラフの上の辺りに巡らされた灯りがアーチの様に美しく、ショウウインドウは趣味よくディスプレイされています。子供達はより良いプレゼントが欲しいのでしょう、心なしかいつもより皆お利口さんに見えます。人々はプレゼントが入った大きな荷物を抱え、嬉しそうに忙しく行き交い、1週間位前になると、会う人毎に「Frohe Weihnachten!(フローエ・ヴァイナハテン!=楽しいクリスマスを!)」と挨拶しあいます。25日、26日がクリスマスの祭日です。
アドヴェントに入ると私は毎週友人のお宅に招かれ、クランツのローソクに毎週一本ずつ増やし乍ら火を灯し、友人の両親やお祖母様、従妹達も一緒に、声を合わせてアドヴェントソングを歌いました。民謡風で歌詞が方言だったりするものが多く、私が上手く真似して歌うと皆おもしろがって笑いこけるのでした。
下宿先の小母さんは、日本から来た私に伝統的なクリスマスを見せようと、大はりきり。クリスマスツリーの飾りつけは、丁度ルーテルむさしの教会と同じように、白い綿を雪の様にふわふわと並べ置き、金色と銀色のモールを掛け、てっぺんに大きな金の星を飾るという清楚なものでした。しかし驚いたのはクリスマス・イヴのお食事です。七面鳥や鶏ではなく、何とお魚、それも鯉を食べるというのです。川魚特有の匂いを取るために、いろいろな香料を加えて大きなお鍋で茹でたものが饗されました。美味しいのですが、私は尖った骨が恐くて充分に味わえなかったことを、今でも申し訳なく思っています・・・お祝の食事を済ませると、家族連れ立って夜中の12時から始まるミサに出かけてゆきます。
大人も子供も心からイエス様の御誕生を祝福しているクリスマス風景を目の当たりにした時、私はキリスト教の中で日常を過ごす人々、そして信仰を通して生まれた音楽や芸術に直に触れることが出来たことに、大変感動いたしました。この経験だけでもでも留学した意味があった、と感じた程でした。
入学を許されたウィーン音楽大学は10月に授業が始まったばかりでしたが、私が師事するリートの名伴奏家Dr.ヴェルバ教授のクラスによる、クリスマスコンサートが催されました。昔修道院だった400席ほどの音楽大学内のホールのステージの中央に、アドヴェント・クランツを釣り下げ、いろいろな国の先輩の学生達と共に私も、教授のピアノ伴奏でクリスマスにちなんだ曲を独唱することになりました。私はマックス・レーガー作曲の『マリアの子守歌』フーゴ・ヴォルフ作曲の『眠れる幼な児イエス』他を歌ったのですが、何故か先生は私に「着物を着なさい」と云われ、「えーっ?帯がきつくてブレスが大変です」と申しましたら「今日は何処で息継ぎをしてもよろしい!」と冗談をおっしゃって大笑い。ウィーンでの最初の公のコンサート出演でした。
翌年のクリスマスは、一番親しいウィーンの友人から、彼女の友達(母娘二人暮し)がザルツブルクでクリスマスを迎えるバスツアーを予約していたところ、母上が急に体調を崩したため、私に同行してほしいと頼まれました。クリスマスは皆家族で過ごすため、お伴を探すのは困難なのですが、私には有り難いお誘いでした。参加者は殆どオーストリア人のお年寄りばかり。イヴのお祝の席はホテルに用意されて、和やかに楽しい宴でした。そしてお食事の後には、オプショナルツアーとして素敵な企画が待っていました。夜10時を過ぎてからバスでザルツブルクの北西約20・にある小さな村、オーベルンドルフを訪ねるというものでした。そこは世界中で歌われる讃美歌『聖しこの夜』発祥の地なのです。『聖しこの夜』は、1818年のクリスマス・イヴにヨーゼフ・モール作詩、フランツ・グルーバー作曲によりこの村の小さな礼拝堂で誕生しました。しかもその時はオルガンが故障してしまい、急遽身近にあったギターを伴奏に歌われたということでした。そして毎年クリスマス・イヴにこの礼拝堂では『聖しこの夜』の誕生を記念して、当時の演奏スタイルで再現されているのです。凛とした寒さ、何と氷点下20℃で凍える中、演奏者の到着を今か今かと待つうち、12時の定刻よりかなり遅れてギターを携えた二人の男性が現れ、『聖しこの夜』が演奏されました。素人の歌声ですが、冷たい空気と晴れた夜空に、心地よく透って響き渡り、静寂の中の素朴で清々しいクリスマス・イヴが印象的でした。友人の母上に代わってお伴させて頂き、貴重な経験をすることができました。樅の木を背にしたこの小さな礼拝堂には作詞者モールと作曲家グルーバーの木彫りの像と『聖しこの夜』の原譜が静かに飾られています。
「クリスマスは独りぼっちで居るものではない」といわれます。私は毎年親しい友人達に囲まれて過ごすことが出来た幸せを思い出す度に、留学を許してくれた両親、友人を紹介して下さった先輩の先生、面倒な外国人に優しく手を差しのべ辛抱強くおつき合い下さった友人達に、感謝の気持で一杯になります。総べて神様の御心によって導かれていたことを喜び、感謝をお捧げいたします。
(むさしのだより2005年12月号より)