「津波ボランティアとして、タイで体験したこと」 石井千賀子

インド洋津波被災地のタイの南部カオラックにボランティアを派遣することについて教会で聞き、アジアの隣人としてキリストに連なる仲間と一緒に微力でもお手伝いしたいと願って参加した。

カオラックの緑の多い砂浜にクリスマスの翌朝、10メートルを超える津波が押し寄せた。避寒客を迎え従業員も大忙しの朝10時半、巨大な自然の脅威が海辺に点在するバンガローやホテルを襲い、2キロも内陸まで巨大な船を押しやる程の波が人々をのみ込んでいった。

私たちは津波ボランティア・センターで世界から集まる仲間と活動した。センターは当初遺体のデータベースをタイ語から英語に翻訳する作業が中心だったが、私たちが着いた津波の後2ヶ月経過した時点では、主として5つの作業をしていた。砂にうまっているガレキを片づけるチーム、未使用の棺を解体して本箱やいす、テーブルを制作しペンキを塗るチーム、放課後の子どものためのプログラムを担当するチーム、4月の初めの津波100日の記念日の準備を進めるチーム、学校で英語とコンピューターを教えるチームがあり、現地のニーズとボランティアの特技や滞在日数に応じて仕事が割り振られた。また、夕食後、被災者の話を直接聞いたり、ビデオを見たりする機会があった。

私たちは砂浜でガレキを片づける作業についた。ヤシの木が半分残った他はほとんどガレキとなったところである。砂のなかから屋根かわらと一緒に水着がでてきた。私は2ヶ月前のことを想像した。この水着の主は生き延びることができたのだろうか。津波の渦のなかで根こそぎ倒れた木々に建物の破片に怪我をしたのではないだろうか。私はその前日訪れた寺院の光景を思い出した。まだ千体もの遺体の身元が分からず、家族を捜す人々の姿があった。

子どものプログラムは現地の人々が住む仮設住宅の前で行われた。そこに住む人々の八割は家族を亡くしているという。20名ほどの子ども達と、粘土に色を塗ったり、鬼ごっこをしたり、シーソーで2時間遊んだ。ほとんど動かずにかすかに声を出す子、元気に動きまわり続ける子など、子どもによって参加の仕方は様々だった。それぞれの子どもが自由に安心して、遊びのなかで自分を表現できる時間と空間が毎日夕方の2時間あることを私はとても嬉しく思った。津波の衝撃をその子なりに乗りこえていく大切な場であると感じた。

4月4日で津波後100日になる。住民たちが力を合わせて復興を目指している様子を象徴的に表す企画として、何ができるか話し合うチームに参加した。被災者に送られてきたが使われていない衣類を用いて人形を作り、砂を入れて津波を覚える案に決まった。休み時間には男性も加わり針を動かした。このプロジェクトはその後地域の住民の反響があり広まっていると、連絡があった。私たちの奉仕は短期間だったが、世界の仲間と住民にリレーされているのを嬉しく思う。

(むさしのだより2005年 4月号より。石井千賀子姉は2/28~3/7 JELCからタイに復興ボランティアの一員として派遣された。)