「ミネソタの風(6)様々な出会い」 上村敏文

内村鑑三はアメリカで二つのJ(Jesus, Japan)を強烈に意識し、また土居健郎氏は1950年代の渡米で、日米の文化、風習の相違から名著『甘えの構造』を書くきっかけになったといいます。私の場合はといえば、こちらのミネソタの生活にすっかり溶け込んでしまい、違和感が全く無く、老後はこちらに移住しても良いかなと半ば考え始めている位です。マイナス20度の朝も今では心地よくすら感じます。山口、新潟、富山と田舎育ちの者としては、このミネソタの牧歌的雰囲気が馴染んだようです。一昨年のクリスマス休暇に一時帰国した時、東京の喧噪に、そしてそのぎすぎすとした空気に圧迫され、いわゆる逆カルチャーショックを感じてしまい、大柴先生と相談させていただいてこのむさしの便りを書くようになり、日本と私を繋ぐ一筋の線となっています。そして、編集をして下さる方々、そして出来上がった原稿をアメリカにまで送って下さる方々の息吹きを感じ、感謝しております。

前月はアフリカに授業の一貫で訪問したこともあり、ミネソタの風もタンザニアを経由いたしましたが、アメリカに戻ってからも、手紙やメールを通して、現地の牧師先生、学生さんと暖かい交流が続いています。多くの日本の教会がアメリカの宣教師達の献身的な貢献によって種が蒔かれたように、タンザニアでは、その種が今や大樹になろうとしています。しかも、しっかりとアフリカの大地に根ざした立派な大木です。もちろん政治的、経済的な問題はあるものの、教会は社会の中心的役割を担っています。

私のアフリカに対する関心は、学生時代の指導教授の一人が国連のアフリカの専門家であった事が遠因としてありますが、もう一つは中国と共に世界の中で教会が大きく成長している現状を実際に見てみたかったことが、今回の訪問の直接的きっかけでした。そして、昨年から、アメリカで私のアドバイザーを引き受けて下さっているニューヨーク・ユニオン神学大学名誉教授の小山晃佑教授も、アフリカに行く事を薦めて下さいました。

小山先生は引退されてミネソタに住んでおられるので、毎週金曜日にお邪魔して個人教授をしていただく栄誉にあずかっております。小山先生については、日本にお戻りになられた石居基夫先生からも、著書を読むように勧められていたので、名前は頭にありましたが、直接その指導を、Luther Seminaryのはからいで、しかもマンツーマンで受ける事ができるのようになったのは、今回の留学の最大の恩恵といっても過言ではありません。

そしてアメリカの学者、学生のみならず、タンザニアの学生までもが、小山先生の代表的著作Water Buffalo Theologyを読んでいるのには驚きました。アジアの神学を代表し、欧米、アフリカの人々にわかりやすく、日常の言葉で紹介し、影響を与えておられる貴重な日本人です。余談ですが、北森嘉蔵氏の『神の痛みの神学』の原稿を出版社に運ばれたのも学生時代の小山先生だそうです。また先日の世界的なイラク攻撃反対のデモ行進にも参加され、私も家族総出で行進に参加してきました。

世界の風が、残念ながら混迷の方に向かいつつある中、アフリカ、アジアの人々と教会を通して交流を持って行く事は、ますます大切になってくると思います。またタンザニアの人々も、欧米諸国とではない日本との新たな交流を臨んでいます。御多分にもれず、すでに日本車、道路建設で日本は大きく関係していましたが、残念ながら、人間と人間の交流はまだまだ少ないようで、どこに行っても私が初めての日本人というケースがほとんどでした。

そのような中にあって、大阪外国語大学を卒業されたカップルが1才と3才になる二人の男の子を連れて、イリンガという地方都市で、将来の宣教のためスワヒリ語を学び、また二人の若い日本人女性が、植林のためにキリマンジャロにまで来ていたのは頼もしく思った次第です。

  (むさしのだより 2003年 4月号より)