むさしのだより「井戸端の戸」 《聖なるもの》への畏怖

 

ある女性作家の書いた「子猫殺し」というエッセー(日経新聞8月18日「プロムナード」欄掲載)がちょっとした物議を醸している。飼い猫に避妊手術を施さ
ず、生まれてきたばかりの子猫を家の隣の空地に放り投げて殺すという告白話である。作家は「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれ
た子を殺す権利もない。…飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない」と言う。新聞社に多くの意見が寄せられ、大半は内容に抗議するもの
だという。一方、「文明社会のはらむ偽善性を指摘しようとしている」と弁護する人もいる。

 

私は、自己決定至上主義の一つの行く末を見る思いがする。作家のしていること自体は、人間社会が人間生命自身に対して伝統的にしてきたことである。それは
暗く、後ろめたく、罪深いが、新しい事ではない。驚くのは、全てを自分中心の理屈の中で処理するのを良しとする態度であり、権利という目の粗い法的概念で
もって生命という微妙な事柄を扱うという精神である(社会が個人に法的強制しか為し得なくなっている時勢の反映なのか)。

 

命の声に耳を澄ませ、人知や、社会と個人の対立を遥かに超えた《聖なるもの》への畏怖に捉えられるものでいたい。

 

(い)

 (たより2006年9月号)