吉田兼好著 『徒然草』
今村芙美子吉田兼好は13世紀後半から14世紀中頃迄の人で、代々神祇官であったが、兼好自身、堀河家の家司、蔵人、左兵衛佐として、若いながら殿上人の世界を覗くことになる。徒然草はそんな30才から60才位迄に書かれ、全部で243段になっている。
最初の段の頃は、人は40才までに死ぬのが良い、女性は、関東の人は…と批判し、読んでいて腹の立つこともしばしばであったが、何せ、自信たっぷりに書いてあり、ある意味では切れ味ある的を得たエッセイとも言えた。ある段で、生きていく上で、学問こそ人を傷つけず、自分をも傷つけないと考えると書いてあり、私には印象に残った。彼がいかに沢山の勉学に勤しんだのかは後半の段にも窺われる。30段では前の権力者の住居の寂れる跡、38段では、まことの人は智もなく、徳もなく、功もなく、吊もなく、誰にも知られていない、人の評価の中にはいない人と書いてある。39段では法然上人のこと、59段で、出家の心構えが書いてあり、この頃はもう兼好は出家をしているらしい。
その後の段も、出家生活に停まらず、目は絶えず外の世界に向けている。特に人の暮らしの足跡の心残りの美しさにこだわるという、微妙な日本人観、日本の心を強調している。男女観も粋である。夫婦は慣れすぎてはだめで、時々離れているのが良く、必ずしも良妻賢母を良しとしない。親や友がスムーズに祝福するような結婚はつまらなく、男女は先ず引かれ合い、山越え、谷越え、ようやく一緒にこぎつけるのが良い。女は昼間は簡素に、夜はきちんと身繕いし、夜の明かりの中で映えるのが良いとか。これは兼好が寺にこもらず、老いる迄、色々な人と付き合い、常に新鮮な感性を失わなかったからか。最後の241章では、人は死に臨んで、願い事は1つもしてはいけない。万事を放棄して、仏の道に向かえば、心も身もいつまでも静かと言っている。
しかし、人生は単純ではない。彼の70才位迄の晩年は、南北朝の内乱の中で、足利尊氏の黒幕の賢俊という僧に近付き、次の権力の世界で、彼の学問力を発揮したのではないかと言われている。
(2006年12月号)