陳舜臣『山河在り』
川上 範夫『山河在り』という題名を見て、のどかな田園風景を思い浮べると見当違いになる。これは日本と中国の近代史、正確には関東大震災(1923年)から上海事変の翌年までの十年間を描いた歴史小説である。この十年間は私共にはやや関心の薄い時代かもしれない。併し、上海事変後、日本国内では5・15事件、2・26事件とテロが相次ぎ、軍国主義が急速に台頭、中国への武力侵攻(支那事変)そして太平洋戦争への突入と、日本が破局の道をたどるその前夜の時代であったといえる。著者は膨大な歴史資料にもとづき話を組みあげてゆくが、これはあくまで小説である。主人公の温世航は華僑貿易商の一族として上海に生れ日本で育った青年で、彼の行動をたどってストーリーは展開してゆく。場面は大震災、中国の内戦、古美術品の密売、恋愛等多岐にわたる。一方、舞台は東京、台湾、南京、上海、北京、奉天と拡がり、登場人物は数百人にのぼる正に大河ドラマである。これをあらすじでまとめることは困難であるが、敢えてまとめるなら四つの流れに集約できると思う。第一は孫文による辛亥革命と260年余に亘って中国全土を支配した清朝の崩壊。第二は中国の内戦と蒋介石による国民政府の確立、共産党との分裂。第三は満州事変、上海事変と日本軍現地部隊の相次ぐ暴発。第四は日本の中国への武力侵攻と反日抗日運動の激化である。日本にも中国にも平和のため身を挺して活動した多くの人達がいたが、時代の大きな流れにのみこまれてゆく。尚、本書について特に興味深い点はこの日中近代史を中国人の眼で描いていることである。(著者の陳舜臣は日本生まれの中国人)一読をおすすめしたい。だが、本書は上、中、下の三巻、1400ページにのぼる大作である。読了するには相当の忍耐力がいる。
(2004年12月号)