曾野綾子 『心に迫るパウロの言葉』
西山和子10月の末、篠突く雨の中、10名の者達が読書会に集った。曽野さんの作品をこの会で読むのは4回目である。前3回に於いては、深く彼女に共鳴する人、或は違和感を抱く人等様々であったが、今回も個人の感想は色々であったと思われる。けれどもこの作品を通してパウロの言葉に向き合い、あるがままに、日頃各自が感じている信仰の問題等が話し合われたことは幸いであった。
今更記すまでもなく若き日のパウロは、ユダヤ教の社会で今で言うエリートコースを歩んでいた。彼が長いものに巻かれ要領よく日を送っていたならば、所謂「安泰な生活」を過す事が出来たであろう。しかしダマスコへの途上、イエスの呼びかけられる言葉に出会い、それまでの彼の生活の全てを捨てイエスに従う事となった。彼はイエスを証し、その信仰を伝えることに全生涯を捧げたが、それは凄まじいまでの苦難の道程であった。
話が進む中で私は自分が初めてパウロの言葉に出会った頃のことを思い浮かべていた。10代の末、バイブルクラスで「ピリピ人への手紙」「ローマ人への手紙」と学び進んでいく中で、それまでに育まれて来たちっぽけな私の価値観が根底から覆され、魂が揺さぶられる思いをした事等である。
以下、読書会ノートに残されている出席者の言葉の中からいくつかを拾ってみよう。
○各章もっともだと思った。「苦しみの中からしか本当の自分を発見出来ない」とか。
○持ち時間が長くない老年者として「溢れるばかりに感謝しなさい、快く分け与えなさい」の章に教えられた。
○まともな事を勇気を持って発言し行動している曽野さんに敬意。
○パウロあってのキリスト教だと思う。パウロの言葉はキリスト教を深く伝えて我々に迫って来る。改めてパウロの偉大さを思う。等々。
(2003年12月号)