賀来周一 『サンタクロースの謎』
堤 毅私はクリスマスはキリスト教徒の祝祭ではあるが、サンタクロースの原モデルである聖ニコラスがカトリック・プロテスタント両者から否定された経緯に鑑み、米デパートから日本に上陸した商業資本主義の象徴としてのみ眺めてきた。然し賀来先生の詳細な説明に依ってあながち軽視すべきものでは無いと目から鱗がおちた感がある。
日本では戦後クリスマスはドンチャン騒ぎが当たり前であったが最近ではケーキを持って家庭に帰る傾向になり、更に信仰とは無関係に各自庭の電飾まで競うようになっている。
本書でキリスト教は布教の拡大の際キリスト教にとって異教とされる多くの宗教儀礼が取り入れられたと述べている。キリスト教が他宗教や他民族の慣習に寛容であったのは私にとって驚きであった。
日本最初(明治7)のサンタクロースは殿様姿であった由であるが之に関して今キリスト教信者数が日本人口の僅か1%に過ぎないという現状からもっと寛容であったらと席上男性からの嘆声が漏らされた。
前置きが長くなったが本書の中心は第四章「聖書に見るクリスマス」であろう。歴史的実証性のみを追究。例えば歴史学的にイエスを論証しようとすれば神話的な部分マリアの受胎告知や天使の存在を史的事実であるかのように理解してしまうと神秘主義的・神懸かり的になり折角聖書がヘロデやアウグストゥスを引き合いに出して歴史性を出そうとしているのを無駄にしてしまうと著者は述べている。
最後に老齢の私としてはスイス精神科医トゥルーニの「老いることは未完了の仕事を受容するプロセスである」に言及し「サンタクロースの訪問はそのときの終りのけじめを年ごとにつけるようなものである」との先生の言は印象深い。
(2002年 3月号)