ドナルド・キーン著 『百代の過客(日記にみる日本人)』 朝日選書
西山 和子キーン氏現在78才。若き日、コロンビア大学で、フランス文学を学ぶ。その頃、日本語に興味を持ち、一人の日本人教授により、マンツーマンの懇切な指導を受ける。やがて、太平洋戦争が始まり、日本兵の遺体と共に、戦場に遺棄された日記を翻訳し、軍事的情報をみつける事が彼の仕事となる。彼はこの時、初めて日本人の日記に対する強い執着心に気付く。そして、アリューシャン列島へ上陸するために乗船する前にも紫式部日記の英訳を買う程に、彼の心は日本人の日記へと傾いて行く。
百代の過客は、正本上下、続編上下 全四冊から成っている。正本上下に平安初期から幕末迄、千年間の日記にのぞく日本人の素顔について書き、続編上下では長い鎖国の後、異文化との強烈な出会いに直面した幕末・明治の有名無名の人々、三十二人の日記を取り上げ、その中で日本人像を追っている。
私は正本の目次の中に、蜻蛉日記・式部日記等の文字をみて、これは私にはとても無理と諦め、少しは馴染みのある作者の並ぶ続編を読む。
読書会当日起こった事は、まずはキーン氏への賛嘆の声。この膨大な量の日記を全部、和漢の原文で読み、筆者の生きた時代を理解し、その心を読みとって行くという、鋭い洞察力に、全員脱帽。更に、今迄のように、文学作品を、よりよく理解する為に日記を読むのではなく、日記その物から、筆者の人間像を鮮明に学び上がらせて行くという手法が、とても新鮮で、話し合いは弾む。
素直に西洋から多くを学ぼうとした新島譲や津田梅子。西洋に対し、ひどく屈折した感情しか抱けなかった村垣淡路守や夏目漱石。逆に西洋にいても常に日本人として自己を失わず、相手に感銘を与えながら振る舞った木村摂津守や森鴎外、そして、風のように、東京にいると同じように、パリやニューヨークの生活を粋に楽しむ事のできた成島柳北や永井荷風、様々の人の姿が日記を通して、読者に伝わって来る。
紙面が残り少なく、当日の様子を多くは語れないが、月一度の読書会にこの大作を取り上げた事自体無謀との声もあり、読書会としては、この中に一編でも自分で原本を読み、自分達の考えを話し合おうという事になる。そんなわけで、次回のこの欄には、むさしのキーンさん達の言葉が載せられるのでは? 乞う御期待!!
(2000年 5月号)