シェークスピア 『ハムレット』
鈴木 元子デンマークの王子ハムレットは現れた父王の亡霊に、その死が弟による謀殺で、王位と妃を奪われた怨みを是非とも晴らせと告げられた。復讐を決意したハムレットはその誓いを果そうと、まず愛するオフィーリヤ(侍従長ポローニヤスの娘)に発狂を装ってその思慕を断ち、周囲にも狂気とみせかけて時の到来を待つ。仇討の大望を心底に秘めながら方策も立たないまま日を過ごすハムレットは、自らを責め焦り混迷の渕を彷徨う。―to be or not to be― 一体どうしたらいいのか、まるで判らない。残忍な運命を堪え忍ぶのが男子の本意か、或は艱難を迎え撃って根を断つのが男らしいか。死へ逃避しても果たして安息を得られるものだろうか―と。
その時偶々城に来合せた馴染みの劇団に、ハムレットは父王毒殺劇の一幕を演じさせ、王の反応を密かに窺おうと考えた。劇の半ばで居たたまれず退出し、罪悪感に苛まれて打ち伏し祈る王を追って、ハムレットは一撃の下にと考えるが、祈りの中に行く先が天国であっては甲斐ない事と、刀を納める。
ポローニヤスの差金で、妃は部屋にハムレットを呼び意見する間に、垂帳の陰に動くものを怪しんだハムレットが一突きすると、それは推測に反し王ではなく、盗聴に潜んでいたポローニヤスであった。
身に受けた重なる衝撃に気の狂ったオフィーリヤはあたりの人々の涙を誘いながら、流れに溺れて世を去って行く。折しもフランス留学から帰国した彼女の兄レヤチーズは、父と妹の非業の死を知り、ハムレットこそ其敵と、復讐の念に燃える。それを巧みに利用した王は両人の剣術仕合を企んだ。卑怯にもレヤチーズは先の尖った剣に毒薬を塗り、王は密かに毒酒を用意する。
王、妃、側近の見守る中、レヤチーズの切っ先がハムレットを刺し、瞬間刀が手から落ち、すかさずハムレットがその刀で返し討ってレヤチーズを倒し、続けて王を一突きに刺し通す。「己が奸計の報い覿面に己が身に返った。ハムレット様、最後に互いの罪を恕そう」とレヤチーズも息絶え、毒酒と知らずそれを呷った妃も、その場に事切れた。
ハムレットの復讐劇は計らずも自らの手になる筋書きにはよらず、敵が仕組んだ舞台の上で演じられた。重い課題に迷い悩んだハムレットは最後に「雀一羽落ちるにも天の配剤、今来れば後には来ず」と覚悟で試合に臨み、信友の殉死を押し止めて最後の幕を閉じた。
「さすがシェークスピアは天才。諺だけで芝居を書いた」と驚かれ、「處世のバイブル」ともいわれたシェークスピア。三十六才の作といわれるハムレットの入り組んだ筋の運びを、寸隙なく進める絶妙の手腕。錦繍綾なす一言一句に含まれる真理を、今誰が褪せ古びたと言い得よう。
終わりにあの有名な、息子を留学に送りだす父ポローニヤスの教訓のごく一部を。
「……借手にもなるな。貸手にもなるな。借金は倹約の刀鋒を鈍くし、貸金は動もすれば其の元金を失い、又その友を失う。最後に最も大切な訓……己に対して忠実なれ、さすれば夜の晝につぐが如く、他人に対しても忠実ならん」。(坪内逍遥訳)