バルザック 『谷間の百合』
堤 毅学生時代仏語を履修し乍ら不勉強で、仏文学の中でプラトニック恋愛小説の傑作と言われるバルザックのこの作品を始めて読むことになった。
母に愛されずに寂しい少年時代を送った多感なフェリックスは、ある舞踏会で前に座った美しいモルソーフ伯爵夫人(年上)の豊かな肩の雪白の肌に魅せられ、接吻の雨を浴びせてしまう。
夫人は意固地な伯爵と子供の虚弱に悩まされ乍らもフェリックスの愛の告白をしりぞけ、信仰心から妻としての義務を守り飽く迄母の様な精神的な愛を以て応えようとする。
彼への夫人の手紙には社交界で身を守る為の教えを説いて居るが之は〃アラン〃が激賞したものである。
然し男性としての限界にあったフェリックスは遂に英国貴婦人の誘惑に屈してしまう。噂を聞いたモルソーフ夫人は虚脱と嫉妬から死に至る。その心境は「何もかも嘘ばかりでしたの。私の生涯は。」と告白し、肉体と精神の闘い、霊肉の相克に苦しむ人間の姿を様々述べている。
今の若い人には、こんな禁欲的な小説は受けないと思われる、又サロンや貴族社会が存在しない日本では理解出来ないことも多い。
然し十九世紀では進歩的な英国文化と対蹠的な仏文化との差異や上流貴婦人のスタイルのそれぞれモダンさとクラシックさ等当時の欧州情勢が窺われて興味深い。
最後に大柴牧師より「与えるアガペ-の愛と奪うエロスの愛との間の葛藤は肉体的に一線を越えるか否かとは別の次元で見てゆくことが出来るのではないか」との発言があった。
ジッドの『狭き門』のアリサ的なモラルを当てては理想とした私には女性の〈強さ〉と対比される男性の〈弱さ〉〈罪深さ〉が印象に残る作品であった。