「読書会ノート」 ヘミングウェー 『老人と海』

アーネスト・ヘミングウェー 『老人と海』

鈴木 元子

 

メキシコ湾流に独り小舟を浮かべて魚を獲る年老いた漁師サンチャゴ。一匹も釣れなくなって84日になる。初めは一人の少年マノーリンと一緒だったが、彼の親は老人を運に見放された者と見限って、少年を他の舟に乗せてしまった。漁師の中には彼を笑い者にする者もいたが、内心気の毒に思う者もいた。老人は自分がいつからか相手を立てるようになった事に気付くが、それが恥ずべき事でもなければ、真の誇りが傷つくものでもないことを承知していた。少年は老人の舟から離れても「一番の漁師はおじいさんだよね。おじいさんに並ぶ者はないさ」とあれこれ身の周りの世話をし、漁の支度を助けたりした。

老人は一人舟を操って海に出た。独り海に出ても寂しくなかった。疲れた小鳥が飛んで来れば、休んでいけと話し、「休んだら陸へ向かって飛んでいって、一か八かやってみるんだ。人間だって鳥だって魚だってみんなそうなんだ!」海の魚も友達だった。だが、彼の命をかけて闘わねばならぬ対象でもあった。

老人の釣網の百尋下の水中で一匹の大物が食いついた。老人と魚の死闘が続く。老人の手の皮は赤く剥け、網は背中に食い込んで皮を裂く。「あの子が居てくれたらなぁ」と何度も思う。然し悔やみはしない。日が落ち夜が明けると、食う物とて無い大魚ぼことが可哀想になる。そう思いながらも彼を殺そうという老人の決意はゆるがない。あれ一匹で何人分の食糧になるかな?天晴なあの振舞いあの堂々とした威厳、あれを食う価値のある人間なんて一人でも居るものか。しかしこんな魚相手にむざむざと死んでたまるか。神様お願いだから最後まで頑張らせて貰いたい。人間負ける様に作られちゃいないぞ。殺されることはあるが負けることはない。老人は何度も気を失いながら、ようやくのことで魚を仕留め、舷に括りつけた。千五百磅の巨体を舟引き上げる事はできなかった。が、老人の闘いはこれで終わらなかった。それは魚の血の臭いを追った鮫の群の執拗な波状攻撃であった。

海に出て四日目の朝、漁師達は老人の舟を浜辺に見た。舷に添って浮く物は、頭と骨ばかりになった18呎もあるカジキ鮪の、無惨にも鮫に食い荒らされた残骸だった。

小屋のベッドに死んだ様に横たわる老人の息を確かめてから、その手を見た途端、少年は泣き出して、泣き乍らコーヒーの、店に走った。熱いコーヒーを受け取って老人は言った「やられたよ、マノーリン、奴らにすっかりやられたよ」「奴にはやられなかったじゃないか、あの魚には」「うん、そうだ」「これからは又二人で一緒に行こうよ、教わりたい事が一杯あるんだ、早く治ってくれないと困るよ」

老人は又眠りに落ちた。自分の生涯で命をかけて立ち向かうものに誇りを貫き、老いた自分を敬い慕う愛しい少年を傍らに、若い日の夢の中で老人は今、人間の至福の中に居るのだろう。