有島武郎 『或る女』
感想ノートより(A)葉子が木村に向かって言っている言葉「私は生まれる時から呪われた女なんです。私は神を信ずるより憎む方が似合っているんです。でも私にはこれが信仰なんです。」木村をだまし続けその結果、自分の回りの人達も疑っていかなければならない葉子に好感がもてなかった。
(B)美貌を武器に自我強く生きる女、抵抗する女である。その葉子が最後には倉地に捨てられる不安を覚え、妹の恋愛に嫉妬する。あわれである。身勝手に生きる女性を社会は許容してくれる程寛容ではない。
(C)どの女にも魔性的な部分はあるのかもしれないが、普通の人達は母を見、姉を見、まわりの人達を見、バランスの良い情緒感を得ていくのかしら。葉子の心の底をさらけ出してただただ自己の欲望をつらぬき相対する男性をも滅ぼしていくと最後に待っているのは灰色の砂漠の中に取り残される遺体だけだ。
(D)『人間失格』の主人公は葉蔵、この本の主人公は葉子。どちらも破滅型の人間。同じ名であるのは作家の意図か。しかし前者にはその根底には人間の真実が垣間見え、納得させるものがあったが、葉子にはただひたすら『悪意』があるばかりで恐れ入る。作者は女性をこんなものだと思っているのだろうか。
(E)特殊な性格の女性の特殊な人生の歩み。もっと人間丸ごとの人間描写がされていたらと思う。この主人公には全く共感できない。しかしその相手として登場する男性像は夫々のタイプに非常によく描写されている。この自己中心の女性は結局破滅に陥る。その最後に内田の名を思い起こす。そのことは精神の世界を求める意味なのだろうか。しかしそれが成就するか否かまでは作者は関わっていない。
(F)読み出してあまり興が乗らずふと裏の註をみるとまわりの人物が、国木田独歩、森広、矢島楫子、鳩山和夫・春子夫妻、内村鑑三等々がモデルになっていて興味がのり、読みつづけた。今とは全く違う時代背景の中で美と才に恵まれた気まぐれな女性の行動はやはり 才位の男性の目からみた女性像か!彼女の中にももう少し別な心の動きもあったのではないか。
(95年12月)