瀧澤美恵子著 『ネコババのいる町で』 文芸春秋社
感想ノートより(イ)「ネコババ」とはいつも野良猫の面倒をみていた隣家の女主人公のこと。そのネコババの家に両親に捨てられ失語症になったわたし(恵里子)は入り浸たりになるが、この事が治癒する大きな助けとなった。自分を捨てた父や母を恨むことなく祖母や叔母を唯一の身寄りだと思い、置かれた境遇の中で健気にも生きてゆく。
(ロ)叔母さんの人生とは何だったのだろう。女一人で生きる厳しさを私は想った。読書会の方々のお話では「スナック感覚の小説」とのこと。そうかもしれない。
(ハ)さらりと読んで天涯孤独な人間の姿を客観的に見つめて受けながす現代人の心の強さか?ドラマを重くしないところが今風ですよね。
(ニ)女だけのいい加減な三人家族、お隣のネコババの御主人に安定した家族として足りないものを補われながらも思春期というむずかしい時期をのりこなしてゆく。失語症をのりこえる所が思い出深く描かれている。
W・フォークナー 『八月の光』 新潮文庫
感想ノートより(A)いろいろな人間が網目のように織りなして絵のように話が進んでゆく。ハイタワーの心の動き。今も人種問題は解決しない。
(B)アメリカ社会の様々な問題を考えさせられた。
(C)ちょっと難解な本。主人公としてリーナという若い女とクリスマスという若者が明と暗の糸を織りなすように語られている。
(D)つかみ所のなかった物語が心の中で形作られて来た。これこそ読書会に加わっている者の冥利というべきか。明と暗が高低の旋律の如く織りなされ流れている。百年前の米国の暮らしを描きながら読者に問題を投げかけている。
(E)フォークナー自身による「八月の光」についての解説が印象的だった。(キリスト教以前の古代ギリシャ・オリンパス山のあたりから差し込んでくるような光。人間の自然の姿を言いたかったというもの)。
(F)自分の誕生の原点が解らない人間はいつまでもそこにこだわり前へ進めない。愛を知らないし愛情を育む事もできない。常に絶望しかない悲劇の男ジョー・クリスマス。彼に対して誰もどうする事もできないのだろうか。
(95年11月)