むさしのだよりのレギュラー記事の『聖書の中の植物と動物』では毎回一つのテーマを、何冊かの書籍をもとにまとめてご紹介しています。
先日、H.T.さん(杉並区本天沼在住)から、97年4月号に掲載した「ヒソプ」に対して次のようなお手紙を頂きました。このようなお手紙(反応)を頂いたことは編集委員会にとって、とても嬉しく励みにもなります。お手紙を読んで早速、編集委員会でも「ヒソプ」について改めて詳しく調べてみましたので、ここにご紹介いたします。
なお、H.T.さんは何度か武蔵野の礼拝にもいらしたことのある方で、後日お電話でお伺いしたところ考古学がご専門で特にローマ時代にお詳しいとのことでした。
貴教会の教会だより「むさしの」をいつもお送りいただき感謝申し上げます。編集に当たられている方々のセンスが感じられ、毎号、表ページから最後まで楽しく読ませていただいております。
さて、第304号の【聖書に出てくる植物と動物】ヒソプについて疑問に感じられたことがありましたので、少々のべておきたいと思います。
まず、『ヨハネによる福音書によると、酸いぶどう酒を含ませた海綿をヒソプに付けてイエスの口もとに差し出したとある』(19:29)と書かれております。
原文を見ますと、たしかにυσσωποs(ヒュッソーポス)です。ヒュッソーポスとはヒソプのことです。しかし、か細く、高さも20~50センチのヒソプが、どうしてイエスの口に届くだろうか、という疑問が残ります。それに対しヒソプの代わりに、この箇所に υσσοs(ヒュッソス)という語が記されている少数の写本があります。ヒュッソスとは、ローマ正規軍団兵が常に携行している投槍(Pilum)を意味します。
イエスの処刑に直接手を下したのがエルサレム駐留のローマ兵であることを考えるとここはヒソプではなく投槍の可能性が高いように思われます。
ちなみに、ローマ兵がイエスに飲ませようとした“酸いぶどう酒”、すなわち酢とは、ローマ軍団兵が常用するポスカという飲料のことかと思われます。
次に、文中に『マルコによる福音書のようにヒソプの茎をさらに葦の棒につけてイエスの口もとに届くようにしたのかも知れない』(15:36)とあります。ここも原文に当たってみますと、ヒソプの語は、用いられてはおらず、「καλαμοs(カラモス)に巻き付けて」とあります。カラモスには、葦、棒、竿等の意味があり、当時の一般的な用法では、単なる棒のことです。“ヒソプの茎をさらに葦の棒につけて”という解釈は、原文からは読み取れませんから、かなり無理な拡大解釈かとおもわれます。
1997年4月11日 H.T.
ヒソプは聖書の中で12個所に出てきます。まず出エジプト記12章22節に過越しの時に犠牲の羊の血を入口の柱に塗るときに用いるように記しています。またレビ記では14章に清めの儀式に用いるようにと5回書いてあります。民数記19章でも同じような用い方が2回記されています。列王記上5章13節でソロモンの知恵について「彼が樹木について論じれば、レバノン杉から石垣に生えるヒソプにまで及んだ」と記されています。詩編51篇ではダビデは「ヒソプの枝で私の罪を払ってください」と歌っています。また新約聖書ではヘブライ人への手紙9章で契約の血とイエス・キリストの十字架の血を対比しているところでヒソプが出てきます。これと最初に考えたヨハネ福音書の19章の十字架上のキリストにぶどう酒を差し出すのに用いられたという記事です。これらを見ますとヒソプは罪の清めと大変関係のある植物だと言えるようです。また現在でもハーブとして強い芳香とその清涼感が用いられているシソ科のHyssopus officinalis L.もしくは同じ科のマジョラム Origanum majorana L. であろうとされていますが、いずれも私たちが食べるシソ(大葉)の仲間で柔らかい茎を持った背の低い植物ですから、いくら乾燥したものにしても高いところに差し出す為のものとしてはものたりません。
ギリシャ語の聖書を見てみますと、聖書協会版の聖書では「ヒソプに(υσσωπω)」となっていますが、希和対訳新約聖書(山本書店)で底本として用いているR.V.G. Tasker編のThe Greek New Testament では「投げ槍に(υσσω)」となっており、その訳は「槍の(先の)周りにつけて」となっています。しかしこれについて著者岩隈直氏は「ヒソプにとする写本の方が有力で、大多数の学者がこれをとる。ただこれは海綿をつけて差し出せるほど茎が堅くないのでυσσωという想像が生まれたのであろう」と書いておられます。
手元にある各種の翻訳の聖書を見てみますと、英語では欽定訳は「ヒソプ」ですし、その後の英訳はほとんどこれを踏襲しています。ただBasic English訳では「stick」となっていますし、New English Bible だけは「javelin 」(投げ槍)としています。
日本語の聖書では、聖書協会のものは、いわゆる元訳(1880年)から、改訳(1917年)、戦後の口語訳(1954 年)、今度の新共同訳(1987年)まですべてヒソプを用いています。ほかにも新改訳、詳訳、新世界訳(ものみの塔)、塚本虎二『福音書』(岩波文庫)、永井直治『新契約聖書』なども同様です。
中国語では、19世紀の漢文で「牛膝草」を用いており、日本語訳の元訳もこの字を使ってヒソプとふりがなをつけています。現代の中国語版(香港の発行)でも同様です。
カトリック系の聖書ではラテン語のVULGATAEから英語のDouay聖書、日本語のラゲ訳まではヒソプですが、口語にされたバルバロ神父の訳は「投槍につけて」となっております。
ドイツ語の聖書ではルター訳も現代語もNTDもヒソプを用いていますし、フランス語も同様でした。
このように大部分の聖書は「ヒソプ」を用いておりますが、「投げ槍」としている翻訳もいくつかあります。
そしてウイリアム・バークレー著『ヨハネ福音書』(聖書注解シリーズ・ヨルダン社)に「ヒソプの茎はそういう用途には不向きだが、ある学者が考えるように槍を意味する非常に似通った言葉の誤りであるというのは当たらない。(中略)神の民を救ったのはヒソプで塗られた過越の子羊の血であった。世を罪から救ったのはイエスの血であった。ヒソプへの言及がユダヤ人の誰にも過越の子羊の救いの血を想起せしめたことであろう。そしてヨハネはこの表現でイエスが全世界を罪から救う神の子羊であると、言おうとしたのである。」と書いてあるのもうなずけます。
貴重なご意見をお寄せいただき、聖書を読み直して考えることができましたことを感謝いたします。私ども編集委員会では読者の皆さまのご意見、ご質問を歓迎いたします。そしてご一緒に聖書を学び、信仰の歩みを深めて参りたいと存じます。
(97年 6月)