自己紹介    ヨハンナ・ハリュラ

 「フィンランドの首都ヘルシンキから西へ75・程離れた、ケラミックの生産が中心のNUMMI-PUSULAという街で生まれました。父、母、兄、姉、私の5人家族ですが、すでに兄と姉は結婚しています。子どもの頃から、日曜日には両親に連れられて教会へ行っていました。当時、日曜学校が無かったので両親と大人の礼拝に出て、まだ、本を読めなかった私ですが讃美歌を歌うことは早くから出来るようになりました。歌うことの楽しさは、このとき覚えました」

 「また、教会の婦人会の集まりの一つに、日本へ伝道することについて話し合う特別なグループがありました。聖書を学び、讃美歌を歌い、海外で働く宣教師たちの現地からの手紙を読んでその働きの為にみんなで献金をして祈りました。子どもながらにそのグループに参加していた私にとって意味のある集まりで、気がつくと私がいま日本で伝道していることは、とても不思議でなりません。

 もちろん子どもの時から神様を信じていましたが、私が16歳のとき兄が階段から落ち大きな怪我をしました。もう、歩けなくなるかもしれないとまで医者から言われていたのですが、怪我から1ヶ月半後のある日、兄は歩けるようになったのです。この間、ずっと神様に兄を助けてくださいと祈り続け、そして、また自分の将来をはっきりとイメージして色々と神様のことを考えるようになりました。

 大学ではデザインを専攻し、卒業後はファッションデザイナーの仕事をしていました。しかし『教会でもっと人々と一緒に働きたい』と考えるようになって仕事を辞め、神学の勉強なかでも青年達への伝道について専門に学んで信徒宣教師となりました。その時の校長先生が、クーシランタ先生でした」

 「1997年のクリスマスの前に来日し2年間の日本語の勉強を終えて、今年からむさしの教会で働くことになりました。2ヶ月が過ぎましたが、すでに大柴先生や皆様から色々と助けていただいていて感謝しています。教会では皆さんが熱心に働いていて、その様子から神様を本当に信じていることが分かり本当に嬉しく思っています。むさしの教会でのこれからの3年間に、青年たちと一緒に働たいです。青年たちとの家庭集会や聖書の学びをぜひ実現させたいと思っています」

 「エペソ2章8・9節の恵みについてと第2コリント12章8~10節のことばが大好きです。讃美歌は教会讃美歌255番と454番(=教団276番)が好きです。

(2000年 3月号)