説教 「死と復活のリアリティ」 徳善義和

(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。




マタイによる福音書 28:6

「あの方は、ここにはおられない。かねて言われたとおり、復活なさったのだ。」

三月のはじめ、フランスのストラスブールでの小さな会議のおり、日曜の午後に2時間ほど離れたコルマールという町に案内してもらった。グリューネルヴァルトと呼ばれた、詳細の分からない画家によって画かれた、「イーゼンハイムの聖壇画」を見学するためだった。この画については、昔立教の講義で聴いたことはあった。画集で見たこともあった。しかし実物を見るのは初めてだった。血の吹き出した凄惨な、イエスの十字架像である。十字架の処刑のリアリティを、日本人にはこういうふうには描き出せないとも思っていた。実物を見て、さらに新しい発見をした。画家はイエスの十字架のリアリティを、人間の死のリアリティとして画こうとしたという事実である。観音開きとなっているこの聖壇画の十字架のイエス像の内側には、墓を破って復活した、栄光のイエスが画かれている。その肌は白く輝く。しかし十字架のイエスの肌は恐ろしいほど青黒い。それは単に死の色として画かれているのではない。画かれたのは一六世紀初頭という。中世からその頃にかけてヨーロッパ各地を頻繁に襲い、人口の三分の一をすら死なせたというペスト(黒死病)があった。画家は十字架のイエスを、このペストの病人と同じにした。「主は私たちの死を死なれた」というメッセージである(この画の小さな複製を、聖水曜の礼拝ではお見せして、黙想を加えた)。

復活の喜びは実は、死のリアリティのとらえ方と深くかかわっていると思う。一瞬見る者をたじろがせる、イエスの十字架像と、観音開きを開ければ、輝くばかりの白さで現れる復活のイエスとのコントラストは、改めて、死と復活の、イエスにおける密接な結びつきを思い知らせてくれる。

イエスの、十字架上での死は、まさに死のリアリティの極みである。死に至るイエスの二四時間を復元した著作があったが、その苦しみの描写は驚くほどだったものの、現実はもっと耐え難いものだったと思わせた。そうすることによって、主は死に伴うあらゆる苦痛を、精神的なものの、肉体的なものも含めて、自らの死として苦しまれたのである。

しかも、それは単にご自身の死の苦しみだけの問題ではない。16世紀初頭の、だれとももはや分からぬようになってしまった画家は、時代が最も苦しんだペストを選んでその事実を告げようとした。その伝染性のゆえに、人々は病人を見捨てて逃げ去る以外になかった状況下で、去る者も、残されて死ぬ以外になかった者も、苦しみ抜いた死を、画家はイエスご自身の十字架上での死の苦しみと重ね合わせて、主が既にすべての人のために、この苦しみも担われたことを告げようとしたのである。イエスの十字架の死の、二重のリアリティである。

このような死のリアリティの中で、復活の朝、二人のマリアは天使の告げる言葉を聞いた。「あの方は、ここにはおられない」という、驚くべき言葉である。悲しみの中で百パーセントここにあると信じて、朝まだき墓に駆け付けてきたのだからである。ここにおられないばかりではない。さらに「復活なさったのだ」との声が続く。こうして彼女たちは、死のリアリティから一挙に、全く逆の、復活のリアリティへと導かれる。こうして彼女たちは、復活の最初の証人となる。

「主は復活なさった」。彼女たちのメッセージはすぐさま弟子たちに届く。この報せは、主の死のリアリティに打ちのめされていた弟子たちの群を新しく立ち上がらせるリアリティとなった。使徒たちの宣教は、主の十字架と復活を、たとえ愚かと言われようが、たとえつまづきとされようが、ユダヤから地中海、さらに地の果てまで告げ知らせることとなった。

「主は復活なさった」。福音書に記され、伝えられたこのメッセージは、死すべき者である私たちにも、死のリアリティと、それを越えた生の確かな可能性を告げる。

(1996年4月7日 主の復活日)