宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』
むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。聖霊降臨後第3主日
日本に来ることは全然考えていませんでした。突然、日本に来ることになりました。
皆さまもご存知の様に、私がここに立つ時賀来先生はたいてい、隣で説教を書いていました。私が日本語で説教を作ります時ほとんど私の日本語は完璧でありまして、わざわざ賀来先生がそこに日本語を加えまして説教をここでしておりました。
逆に賀来先生がフロリダにいらしたら、同じ様なことを言われるでしょう。
とにかく、色々なことを申し上げていますが、私にとっては喜びであります。
最初、私の家内と家内の母が一緒に来るはずでしたが、一週間程前に役員会が開かれまして、あなたも是非日本に行くべきだと言って下さいまして、こうやってやって参りました。片道の切符を買ってくれまして、「もう帰ってこなくてもいい」とも言ってくれました。
イザヤ書の11章の6節「小さい童に導かれ」という聖書の言葉があります。そして、生まれてきた私の孫の名前はアンジェラ・マリーといいます。この喜びに加えまして、今日ここで私が礼拝出来ますことは本当に感謝であります。フロリダにおります時も、喜んで日本に行くと申した次第です。
フロリダにおります時は、武蔵野教会のことを話しておりました。まあ、おそらくは、武蔵野教会なしでは下井草はありえない、ということも話しておりました。
私たちが想像する以上に、この教会の存在が証しをしている、と私は思っております。フロリダにおります教会の信徒達が聞きますことは、「日本のクリスチャンは、どういう風にしてクリスチャンになったのか」ということであります。「何故、クリスチャンになったのか」「キリスト者としての生活は一体、どういうものであるのか」「九十九%がキリスト教以外の仏教徒の生活の中でキリスト者として生きることは一体どういうことなのか」まあ、そのことに関して、私はずっと皆様方のことを話してきました。
今日はここで皆様方もご存知ないかも知れない、武蔵野教会のことをお話ししたいと思います。
この教会のご婦人のことですが、エプロンのお話です。彼女は大変キリスト者になりたがっていましたが、それが出来ませんでした。ご主人が反対されていたことや、教会に来る様になると仏壇の世話が出来なくなることが、その理由でした。日曜日に教会にいらっしゃる時には、エプロンをして、家族の方達には、「買い物に行ってくる」と言って、礼拝に出掛けていらっしゃいました。そして、教会に入って来られるすぐ前でエプロンを脱いで、入っていらっしゃいました。そして、教会を出られるとまたエプロンをして、家族には「買い物に行ってきた」と言うのでした。家族は何もそのことを知りませんでした。これは大変な物語であります。
次に、クリスマスキャロルの話があります。クリスマスのイヴ礼拝は、池宮先生のご助力もありまして、キャンドルサービスをして、賑やかに過ごして参りました。白鷺ハイムに参りまして、大きな杉の木の下でキャロルを歌い、鈴木さんのお宅に伺ってカルピスを飲むことが常でありました。私たちがローソクを持ってキャロルを歌いながら歩いていると、近くの人たちは私たちが何をしているか、ということは分からないかも知れません。 初谷さんのお家にも参りました。初谷さんは、私たちが行く前に、箱いっぱいのミカンと焚火を用意して家の前に立って、私たちを待っていました。涙が初谷さんの目から流れてきました。初谷さんは若い時に、友だちに誘われてこの教会にいらっしゃいました。小学校の頃、『主われを愛す』を歌いながら教会学校に来ていました。中学校に入った後、誰も教会に、そして初谷さんも教会に来なくなりました。結婚されましたが、その後、大変な事故に遭われました。「一体、これ以上生きていてもしょうがない」ということで西武線の沿線をずっと歩いていって、飛び込もうとしたのです。飛び込もうとした瞬間、神学校の塔の上からチャイムが聞こえてきました。そのチャイムの音は『主われを愛す』でした。それを聞いたとたん、飛び込むことが出来なくなりました。また、何度か飛び込もうとしたのですが、また、チャイムの音が流れてきました。
そして武蔵野教会の方へいらっしゃって青山先生に話をしました。青山先生が言われたことは、「あなたの事故ということは、そんなに大したことではなく、一番大切なことは、イエス様の愛があなたの心の中に輝いたことだ。そして、その愛が輝いていること、それが一番大切なことなんだ」ということでした。その事が契機になりまして、初谷さんは、洗礼を受けてクリスチャンになられました。教会学校の時代の『主われを愛す』のメロディーが初谷さんの命を救い、また信仰へと導いたわけです。クリスマスイヴの度ごとに、初谷さんの家の前で 焚火にあたりまがら、ミカンを食べていると、私はその初谷さんの物語を思い出すのでありました。
その後、たいてい私たちは和田さんのお宅へ伺いました。お宅では、白菜のお新香を頂ながら、大変素晴らしい時を過ごして参りました。部屋の中ではテーブルを囲んで丸くなって座り、和田さんとご一緒に讃美歌を歌ったのであります。家の中には色々な物があって、私にとっては珍しい物ばかりでしたが、その中に一つのメダルがありました。和田さんは、日本の海軍の軍人さんでいらっしゃって、航空母艦から初めて飛行機を発進させた方です。
また、大林さんのことを思い出します。何人の方が、大林さんの物語をご存知でしょうか。大林さんは大変有能な海軍の長官であられ、また指揮官であられました。終戦後、ラジオを通して天皇陛下の声を聞き天皇陛下は神ではない、ということを聞かれた訳です。そのことは、大林さんの人生の基礎というべきものが失われるということでありました。
そこで、大林さんは今も日本におられる宣教師のネルソン先生に出会われた訳です。その時、聖書研究を共にされまして、旧約聖書の創世記一章をそこで学ばれました。『初めに神は天と地を創造された』。それを読まれた時に、世界を造られたのはまさしく神、その方に違いないことを知った訳です。そして、大林さんも偉大なクリスチャンとなられました。
フロリダで婦人会の連盟大会がありまして、600人位の方々が集まった前で私はこうした武蔵野教会の事を色々お話しました。おそらく、武蔵野教会はフロリダ州で、有名な教会だと思っております。
どうか、使徒行伝の11章から13章を見て頂きたいと思います。この個所には初代教会のことが書かれています。ここには、初代教会の素晴らしい証し人たちの働きが書かれているわけですが、それはまさしく皆様方と同じようなことが書かれていると思います。賀来先生がよく言われている「歴史上のキリストではなくて、歴史の中のキリスト」であります。賀来先生がそう言って下さったので、大変深い印象に残っています。
使徒行伝13章1~3節に挙げられている名前が、大変印象的であります。武蔵野教会の中にも、川上さん、市吉さん、豊田さんと色々な名前があります。そういった名前は、まさしく初代教会の中のこういった人々と同じ一つの有様を示していると思います。例えば、バルナバのことを考えてみますと、背が高くてハンサムで、優れた説教者でありました。彼は全ての物を売り払い、全ての物を犠牲にしてイエス・キリストのことを宣べ伝えた偉大な人物でありました。全く賀来先生と同じようなご様子でないかと思われます。例えば、賀来先生は牧師でなければ、何か会社の社長であったり、大学の偉い先生であったと思いますので、そうでなくて賀来先生は教会の牧師、何よりも教会の牧会をしていきたいとしか思っていらっしゃらなかった、そうですよね、賀来先生?……という訳です。それは、日本のキリスト教の歴史の中で賀来先生の名前はバルナバと同じ様に、ここに書かれていると思うのです。
次の人の名前はシメオンです。シメオンは、おそらく十字架を背負った人、それはすなわち皆様方の多くが、イエス様の十字架を背負っていらっしゃるに違いない。おそらく日本の教会にいらっしゃる皆様方はここに書かれているシメオンと同じようなお名前を持っていらっしゃるのだと、思います。
ルキオはおそらくギリシャ人だったと思います。音楽家であったでしょう。池宮先生であったでしょう。池宮先生のお名前は、日本のキリスト教会の中に本当に大きな貢献をなさったということを表しています。
マナエンは、お金持ちの人でありました。この中に、お金持ちがいらっしゃるかどうか分かりませんが、彼が持っております全財産を自分のためでなくて、キリストのために使うことを目的としておりました。
パウロについては、岸先生のことを思い出します。パウロは偉大な学者でありました。岸先生は91歳になられたそうですが、今日は長野で特別伝道集会に出席されているそうです。
皆様方はきっと、日本の初代教会の中の人たちと申し上げても良いと思います。3節を読みますと、「皆の者は断食と祈りをして」と書いてあります。ここにいらっしゃる皆様方は全てが、この地域に対して宣教師として派遣を受けていらっしゃると思われます。皆様方ご自身はお気づきにならなくても、皆様方はこの地域に大きな働きをなされているということです。皆様方の影響はこの地域社会に大変大きいのであります。
次に、フィージー島に土地を買いましたひとりの水夫の話をしたいと思います。彼は、フィージー島に土地を買おうと思って、島の中を巡り歩いていました。フィージー島で何かいいことがないかと、歩いて見ていますと、人々が聖書をもって歩いているのが目に入りました。彼らはみんな、教会に行ってきたわけです。彼はそれを見て大変落胆致しました。彼は人々に「どうして教会に行くのですか?それで何かいいことがあるのですか?」と尋ねました。すると「いや、それはすでにあなたの為にいいことがなされているのだ」と返事が返ってきました。「一体、私のためにいいことがなされている、とはどういうことなのですか」と聞き返すと、「私たちがクリスチャンになる前に、もしあなたがフィージー島に来ていたなあらば、この島であなたは棍棒で叩かれテ、シチューに入れられてあなたは食べられてしまっていたに違いない。だから私たちがクリスチャンであるということは、あなたにとって、大変幸いなことなんです」と言ったということです。
こうしたことは、私たちは分からないかも知れませんが、クリスチャンになるということが、影響力を持っているということをここで表していると思います。
どうか、武蔵野教会が賀来先生に導かれて、地域社会に対して良き証しをされて、日本の初代教会となっていかれることを願っております。
私がアメリカで、このような話をしますと、誰も眠る人がいません。
本当にここで賀来先生とご一緒に説教できましたことを、心から感謝しております。
(1989年6月4日 初孫アンジェラ・マリー・スヌークちゃんの誕生を祝って来日されたL.D.キスラー牧師の説教。通訳は賀来牧師)