(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
マルコによる福音書 16: 1- 8
復活の最初の証人たちは三人の女性であった。マルコは、これら女性たちとその情景を物語るように生き生きと我々に伝えている。論理的には首尾一貫しないような証言がかえって、ことの真実をもって我々に迫る。
彼女たちは準備している。「香料を買い求めた」。心こまやかな準備である。彼女たちの愛の思いが伝わる。悲しみの中でもなすべきことを備えている。
彼女たちは待ちかねるように、朝まだき、すぐ墓に急ぐ。これも彼女たちの心の備えを示している。悲しみの思いで夜の明けるのを待っていた様子が分かる。まだ足元も覚束ない明け方の道を急ぐ彼女たちである。「だれが、石をころがしてくれるのでしょう」と話しあった様子までが生き生きとしている。自分たちには準備できないこと、果たせないことの確認でもある。
しかし、神の出来事は彼女たちに先行する。「早朝」と人が考え、行動を起こすより先に、神は働きだす。神の働きはいつでもそうだ。人の思いに、あるいは反し、あるいは先立つ。人の憂慮にも先行する。口々に話し合いながら墓に向かい、墓に着いた彼女たちの前には「石はすでにころがしてあった」という事実があった。
彼女たちは「非常に驚いた」。驚きに打たれたのだった。思いもかけず墓の中にいた若者の存在に、そして、その若者が告げることに。「空の墓」の事実は、見て分かる以上に、そう告げられていっそう彼女たちの驚きを増幅する。この「空の墓」の事実は、「イエスはよみがえって、ここにはおられない」という復活の告知によって裏打ちされる。
彼女たちはこうして「空の墓」の最初の証人となり、「よみがえって、ここにはおられない」ことの目撃者となった。そればかりでなく、彼女たちは伝えるべきメッセージを托される。ガリラヤへと先立ち行かれる、復活のイエスとの再会の約束の伝達である。
すべて思いもかけず、一気に起こった一連の出来事に、彼女たちは打たれる。非常な驚きは「恐れ」になる。「おののき恐れながら、墓から出て逃げ去った」とマルコ福音書は伝えている。これは、福音書が告げる神顕現のさまざまな出来事の前で、人がもち、また、見せる共通した反応である。ここから逆に我々は、神顕現のただ中に身を置くことになった彼女たちの姿の真実さを読み取ることができる。これは人間的な恐怖ではなく、神の前に、神の働きのただ中に置かれた者がもつ、いわば総毛立つ、深い恐れ、畏怖である。
この畏怖の中で「正気を失う」(口語訳)。「なにも言」えない。見たことも、聞いたことも、伝えるべきことも、「人には何も言わなかった」。復活の出来事に打たれる、それも口もきけないほどに打たれる。我々はここから、神ご自身の働きの事実を読み取るべきなのである。
「私の神学は十字架の神学である」と言ったルターは、いくつも手掛けた会衆讃美歌の中で、受難と十字架の讃美歌を作らなかった。残されているのは復活の讃美歌である。「キリストは死の布に横たわっていた」(教会讃美歌97)を見ても分かる。受難と十字架、その戦いを復活と勝利の相のもとで歌ったものである。彼の十字架の神学は十字架に止まってはいない。十字架を突破して、神の出来事としての復活に向かう。だから、「生の中にあっても、我々は死のただ中にいる」と歌う中世の宗教歌を「律法の歌」と断じて、彼は逆転させ、「死の中にあっても、我々は生のただ中にいる」と「福音の歌」に歌い変える。
聖金曜日には、ルターのこの讃美歌を、バッハが教会カンタータに作曲したものを共に聴いた。復活が十字架と死をまさに呑み込んでしまった、勝利の歌である。我々は自らの生も死も思う。しかし、主の復活を祝うということは、自らの生も死も、この勝利の相のもとで見ることにほかならないのである。
(1997年 3月30日 主の復活日)