説教 「星のオリエンテーション」  大柴譲治牧師

マタイによる福音書 2: 1-12

はじめに

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

夜の物語

クリスマスの物語は暗い夜の中から始まります。ベツレヘムの貧しい家畜小屋の飼い葉桶の中に寝かされた幼子イエスさま。このお方がお生まれになった時に、夜空には星が輝いていました。野宿をして羊の群れの番をしていた羊飼いに天使が現れたのも夜のことでした。神の栄光が闇の中に照り輝きます。クリスマスは光と影の物語なのです。

先ほど讃美歌でも歌いましたように、この救い主の誕生を告げる星が夜空に輝きます。マタイ福音書の2章には、はるばると東の国から占星術の博士たちがこの星をたよりに、黄金・乳香・没薬という宝物を持って救い主を拝みにやってきたと記されています。博士たちはおそらく持っていた全財産をこの旅の準備とこの捧げ物の準備のために使い果たしたに違いありません。それぐらいこの旅は彼らにとって重要な旅だったのです。

彼らの旅は夜の旅、星の光を確認しながらの旅でした。同じ時刻にどの方角に星が見えるかで進むべき方向を確認しながら、何ヶ月もかけてはるばると旅してきたに違いありません。山あり、谷あり、川あり。もちろんその時代には道や街灯が完備されているわけではなかったことでしょうから、ランプを灯しながら、足下を気遣いながらの旅でした。博士たちと呼ばれているくらいですから、彼らはかなり年配の人物であったはずです。慣れない道を行く旅は厳しいものであったことでしょう。また、その旅がどれくらい続くのか、いつ目的地に辿りつくことができるか、果たして本当に救い主にお逢いすることができるのか、等々、彼らの胸には一度ならずも不安や迷いがよぎらなかったはずはありません。

旅立ちへの決意

彼らの旅は星の導きにすべてを委ねての旅でした。旧約聖書の創世記の中には、「信仰の父」と呼ばれた父祖アブラハムが神のよびかけに応じて「行く先も知らないで旅立った」という記事がありますが、その学者たちも同様でした。旅支度と黄金・乳香・没薬のために全財産を使い果たしての後先を考えない旅でした。生きて帰れるかどうかも分からない命を賭けた旅だったと言ってもよい。何がそのように彼らをうながしたのでしょうか。そのような旅に出たのはやむにやまれぬ思いがあったはずです。それは内的な空しさであったかもしれません。詳しい説明はありません。しかし、この星こそ生の本当の意味を与えてくれると彼らは信じたのです。この星を追うことが人生の一大事であると考えた。だからこそ、すべてをそのこと一つに賭けて旅立ったのです。

私たちはどれほど充実した生活を送っていても、本当の喜び、本当の人生の意味を求めて、それまでのすべてを後にして出発しなければならない時が私たちの人生の中にはあるものです。星の導きにあったように正しい方向に私たちは旅してゆかなければならないのです。「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた」(マタイ2:9-10)とありますが、彼らはその星を見て人生の意味を見出した。「黄金、乳香、没薬」という宝物は、彼ら自身の占星術のための道具であったという解釈があります。もしそうであるとすれば、彼らは自分の古い生き方をすべて捨てて、幼子キリストにすべてを差し出したとも理解できましょう。

いずれにせよ、ベツレヘムに着いた時の彼らの喜びはいかに大きなものであったことでしょうか。きらびやかな宮殿ではなく、貧しい家畜小屋の、しかも飼い葉桶の中に寝かされている幼子を見たときに、驚かされたかもしれません。しかし、彼らは星の導きの通り、ユダヤの王と出会うことができた!その喜びに満たされた。旅の苦労が報われただけでない。生きていてよかったと喜びが溢れてきたのです。そのような至福の瞬間を味わうことができた者は幸いと言わねばなりません。

星のオリエンテーション

さて、この博士たちの物語は私たちに何を告げているのでしょうか。「オリエンテーション」というよく知られた言葉があります。会議やセミナーなどで最初に持たれるあの「オリエンテーション」です。全体の趣旨や方向づけやゴールを示す大切なセッションです。私たちがこのことを通してどこに行こうとしているのかを最初に明確に示さなければなりません。広辞苑によるとオリエンテーションとは「ものごとの進路・方向を定めること。また、それが定まるよう指導すること。方向づけ。進路指導」とありました。

実はこの「オリエンテーション」という言葉は「オリエント」(日の出の地、東)という意味の言葉から来ています。語源的には「オリエンテーション」とはあるものをきちんと東に向けるという意味があるのです。(教会も本来であれば正面が東を向くように創られています。実際の方角とは別にこの聖卓の方向を東と呼ぶ習慣があります。)

研究社『新英和大辞典』を見るとorientationには次のような意味がありました。

1.a あるものを東に向くように置くこと
b 主祭壇が東に向くように教会を建てること
2.a(物の)配置(方向)
b(建物の)方位(の測定)
3.a(新しい環境・思想・習慣などに対する)適応・順応
b 新入社員などへの方向づけ、適応指導、オリエンテーション
4.a 態度(方針)決定
b 態度
c 志向(性)
5.(心理)見当識
6.(生物)a 定位
b(伝書バトなどの)帰巣本能

クリスマスは私たちに人生の生きるべき指針を示してくれているということです。星のオリエンテーションの下に、東からの博士たちだけではなく、すべての人間が置かれているのです。この方向に私たちが生きるべき真実の道がある。「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われた方に身を向けて、人生を歩んでゆくことが求められているのです。その時に、私たちはどのような闇の中にあったとしても、悲しみや苦しみや行き詰まりや死や絶望のただ中にあったとしても、この光の方向に私たちの本当の命が備えられているのだとクリスマスの出来事は私たちに告げています。

東からの博士たちはこの星のオリエンテーションの下に新しく人生の冒険を始めたのです。

「光は闇の中で輝いています。そして闇はこれに勝たなかった。」

一年で一番夜が長い冬至の時期に、光の到来を祝うクリスマスが置かれていることにはまことに深い意味があるのです。

この救い主の誕生を告げる星の光がお一人おひとりの歩みを導かれますようお祈りいたします。 アーメン。

おわりの祝福

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

(2002年12月24日 クリスマスイブ音楽礼拝説教)