五つの破局論 川上 範夫

東日本大震災から一年がたつが、被災された方々のことを覚え、一日も早い復興を祈るのみである。

ところで、震災から2~3ヶ月後、書店の店頭には災害や原発に関する出版物が一斉に並べられた。題名は危機をあおるものが多く、「第三の敗戦」「日本経済は大崩壊する」等である。私はこれらに興味はなかったが、表紙を眺めるうちに、20年前に読んだ一冊の本を思い出した。それは、1988年刊、牧野昇(三菱総合研究所会長)の「五つの破局論」である。

その内容は、多くの日本人が抱いている先行きに対する不安をとりあげ、これを大きく五つに分類、不安の実像と虚像を検証したものである。

第一の不安は「自然の破局」である。本書は、地震は日本の宿命だという。対策についても述べているが、私が認識を新たにした点は、地震国である日本の政治、経済その他あらゆる機能が東京に集中していることへの危惧である。

不安の第二は「技術の破局」である。その一つとして原発事故に言及している。

この章で特に感銘を受けた論点は“絶対”という安全はないということ。「絶対安全でないものは禁止」となれば、現代文明は成り立たないということである。又、原発を含め巨大技術の事故は、その殆どが“ヒューマン・エラー”にもとづくものだという点である。

さて、本書が警告した大地震と原発事故は昨年3月、現実のものとなった。そこで私は「五つの破局」のうち前述の自然と技術の破局以外の三項目について本書は何を語っているか、紙幅の関係から、ポイントを列記しておきたい。その一は「政治の破局」である。政治の破局は戦争への危機だと述べている。また第三世界に拡がる核の恐怖について警告している。その二は「社会の破局」である。この項では、エイズの恐怖と情報管理社会の強化の二点をあげている。その三は「経済の破局」である。国際的な財務不均衡と企業脱出による空洞化を強調している。

私共は毎日、押し寄せてくる情報に流され、物事の本質を見失いがちである。この観点からも、24年前に書かれた本書は示唆に富んだものだと思う。だが、私は本書を読み返しながら、聖書の一節が頭から離れなかった。

「かってあったことはこれからもあり、かって起こったことはこれからも起こる。太陽の下、新しいものは何一つない。」 (コヘレトの言葉1・9)

(むさしの教会だより 2012年3月号より)