ヨハネによる福音書 2: 1-11
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。カナ村での出来事
50年もすれば人の世は変わります。時の流れの恐ろしさ、怖さを思います。平和な方に導かれて行くのでしたらよいけれど、考えさせられます。これでいいのか、と。今日の話はカナの村で起こった話です。カナというところを私はあえて村と言います。恐らく二千年位前では、あの辺はぶどう畑、また田舎の田舎だったと思うのです。最初は20年くらい前でしたか、私がカナに参りました時にはもうその辺りにはいっぱい家が建っていまして、この辺りと同様、ぶどう畑などはあまりありませんでした。そして、教会が建ったり、石の建物が色々と建っていて、石畳の上で子どもが遊んでいました。ちょっと横にそれて家に入りますと壷が幾つか並んでいました。それは観光客のために、今日の話のカナの婚宴での壷を思い出させるためでしょう。教会の中にも大きな壷のちゃんとしたものがありました。だからイエス様の国も昔は田舎で、田園でぶどう畑があったのですが、今のイスラエル、カナにはたくさんの建物が建っています。今のイスラエルは、毎日新聞に出てきますように、本当に悲しい事柄が起こっていますね。
さて、そのカナで結婚式がありました。母マリアがその結婚式に来ていたのですね。台所を手伝っていたのでしょう。マリアはナザレの地で生活していました。ナザレからカナまでは6キロぐらいです。ナザレから坂道を少し下ってゆくとカナに降りてゆきます。カナを過ぎてズーッとガリラヤ湖の方に降りてゆくようになっていて、そこは景色の良いところです。
イエス様の弟子たちは五人くらいではなかったでしょうか。ナタナエルがイエスさまの弟子になったという記事が本日の日課のすぐ前のところにあります。ナタナエルはカナの人ですからカナの事情に詳しかった。その結婚式が行われている家のことも良く知っていたはずです。だからイエス様と五ー六人の集団がずっと坂道をガリラヤの方から登って来て、結婚式のある家に招かれて入られたのです。そこで結婚式のお祝いに参加し、五人の弟子たちはぶどう酒をたくさん酔っ払うほどに飲んだのでしょうか。イエス様も飲んだのでしょう。結婚式はだいたいどのくらい酒を用意すればいいかと予想を立てて、花婿あるいは主人は予め十分な量を用意していたのではないかと思いますが、六人も増えると足りなくなってしまった。しかも酒飲みが増えたのです。イエス様は「大酒飮み」とも呼ばれていました(マタイ11:19)。
それほど飮んだとは思いませんが、とにかく人数が増えて酒が足りなくなった。そのことをマリアはいち早く察知します。「酒が無くなってしまった。これは大変だ」と考えて息子のイエス様のところにやって来たのです。「酒が無くなりました」と言った時、マリアは恐らく息子のイエス様に大きな期待をしていたと思われます。皆さんはどう思われますか? 私はそのように読んでいます。マリアは息子のイエス様に、母親として、人間として、期待をしていたと思います。
誰よりも先にイエス様はぶどう酒が無くなったということをご存知であったと思うのです。イエス様はここで尊いみ業をなさろうと決心したのではないでしょうか。イエス様が尊い大切なことをご計画なさる時にその心を誰が知るでしょうか。皆さんは知るでしょうか。イエス様が思っておられることを誰も知らないのです、我々人間は。マリアも知らないのです。知らないけれどもマリアは自分の息子に、「酒が無くなったから息子に頼めば何とかなるだろう」と思っていたに違いないと思います。ここのところは人によって解釈が違うのですね。しかし私はそう思います。イエス様は尊い業をなさった。そのような時には誰もイエス様のそのお心を知ることができない。神様の御心がそこで行われようとしている。神様の栄光がそこで示されようとする時に、誰もそのことに気付かないのです。本当に私たちの思いでは不思議なことですけれど、水がぶどう酒に変えられたのです。信じない人は信じないことでしょう。
今日の特別の祈りの中にもありましたが、私たちは神様から創られた、御子によってすべてのものが創られたという驚くべきメッセージを今日はコロサイの手紙からいただきました。私たちはつい先日までクリスマスを祝いました。クリスマスは馬小屋に生れたイエスから始まります。マタイによる福音書とルカによる福音書は、イエス様がどういう場所で生れたか、どういうところでどういう人がその時にクリスマスのメッセージを聞いたかということを記しています。それは2002年ちょっと前の最初のクリスマスは、そういうようにあのベツレヘムで起こったと。そして私たちはこの前の日曜日に、全世界の人たちにイエス様が馬小屋で生れ栄光が現された。そして羊飼いたちがやって来た。両親はイエス様を伴ってお宮参りに行って祝福をしていただいた。シメオンが赤ちゃんを抱いて喜んだ、というようなクリスマスの物語を私たちは一週間前まで辿って参りました。今日のパウロのコロサイの手紙の中にはそのようなことは書いていません。また、カナの結婚式の話を記したこのヨハネ福音書はそのようなことを書いていません。
ヨハネ福音書の記者は「初めにロゴス(言)があった!」と記していますが、二千何年前にイエス様が生れたというクリスマスの話は書いていません。コロサイの手紙も書いていない。御子はすべてのものが創られる前から神と共にいらっしゃった。そして御子によってすべてのものが創られたと記す。皆さんはこのような言葉をどう思いますでしょうか。本当にそのように信じることができるでしょうか。クリスマスは二千何年前にベツレヘムで起こった事柄でなくて、その前に、初めからそこにロゴス(言)がおられた。ロゴス(言)は肉体となって生れた。イエス様のご生涯がそのような言い方で今日のヨハネ福音書には書かれて、そして今日の最初のしるしを行ったカナの話に入ってくるのです。
マリアは、クリスマスのあの時には「マリアの讃歌」といって、マリアが本当に心から神様を信じて神様に感謝するあのマリアの讃歌の信仰があったのです! しかし、時が経つにつれてマリアの心はその原点から離れたのではないでしょうか。しかしまた、マリアは原点に近づいたり、そういうこの生活をしながら、イエス様が12歳の頃の話を皆さんはご存知ですね。その時のマリアと息子の話です。マリアと息子のイエス様はお宮に参りました。そしてそのお祭りがすんで、マリアはみんなと一緒に帰るのです。たくさんの人たちがそのお宮参りに来ていますから、帰る途中に“フッ”と気付くと息子がいない。さっきまで祭りに行って一緒にいたはずなのに、帰りがけにフッと気が付いたら息子がいないものですからマリアは慌てました。気付くまで三日間もかかったというのです。マリアは非常に慌ててどうしたんだろうかと思ってエルサレムのお宮にもう一度戻りました。見るとイエス様がみんなの中心にお立ちになってお話をしている。とても大事な福音を語っていたと思うのです。マリアはその息子のところに近づいて行って、「何ということをしたのです!!私たちは一生懸命探したんですよ」とマリアは大きな声で語りかけました。「心配していたんですよ…。どこにいたかと思ったら、ここにいたんですか」と。そうしたら12歳のイエス様が「神様のお家にいたのです」と言われたのです。
神様のお家!普通、われわれの親子関係、母と子の関係でしたら、ちょっとそのような風にはなりませんね。しかしイエス様は、その時に「何で探していたんですか。私は神様の家にずっと前からいたのに」。その時のマリアの心というものもやはり私はイエス様の本当のお心から遠ざかっていたのではないかと思うんです。マリアは敬虔な信仰深い人でしたけれども、いつもそういう信仰は続きません。あの時はやはり人間の親としてのお心になるわけです。それは当然なことでしょう。自然なことです。しかし、イエス様のお心はそうではないのです。カナの結婚式の時がまさにそうです。
マリアが「ぶどう酒が無くなった」と何かを期待しながらイエス様に言いました。その時にイエス様は「お母さん」とは言わなかった。ここで、聖書を開きましょう。「婦人よ」となっている。愛するお母さんに対して「女よ」、「婦人よ」と言った。このような母と子の会話というものを皆さんはどのように考えるでしょうか。マリアが何かを本当に求めて息子のところにやって来たのにイエス様はそれは冷たい言葉で答えられました。もし皆さんの中に今日初めて聖書を読まれた方がおられたら、やはり何でイエス様は愛するお母さんにそんなに冷たい言葉を語られたのかと思われることでしょう。お母さんに対していつもイエス様がそういう言葉を語っていたとは私は思いません。赤ちゃんの時から育ててもらったお母さんですから。ところがこの時ばかりはマリアに対して「デュナイ」(「婦人よ」、「女よ」)と呼んでいる。それは冷たい言葉です。それはマリアの心とイエス様の思いが異なっているからなのですね。
マルチン・ルターはある顕現節の時の説教にこういうことを書いています。「地上では母より大切な者はない。そのような権威に優るような権威はどこにもない。しかし神様の業が行われようとする時には、イエス様の業がそこでなされようとする時には、お母さんの権威も、お母さんのその素晴らしさも、そこでは何にもならない。力にならない。神様のみ言葉が語られるところには、この世のどのような愛情も、人間のすばらしい愛も、そこでは無に等しい。」 そのようなことをマルチン・ルターは語ってくれました。イエス様は神様の業、ご自身の業をそこでなしたもうた。それが水をぶどう酒に変えるという「しるし」です。「奇跡」を行ったとは書いてません。「しるし」です。「最初のしるし」を行った。そしてそこにご栄光が現れたとこの福音書を書いたヨハネは書いている。これはしるしなのです!
しるしというのはそのことの中にとても大切な意味があるものを示しています。イエス様が水をぶどう酒に変えたということはとても大事な事柄を示しているということです。ヨハネ福音書の中には「デュナイ」(「婦人よ」)と愛するお母さんにイエス様が語る場面がもう一つ出てきます。もう一つは、イエス様が十字架につけられる場面です。その十字架の上から頭からも血だらけ、手から足からも血だらけになって、胴から血だらけになっているイエス様が、十字架のそばたたずんでいるマリア対して「お母さん」とは言わず「デュナイ」と言いました(ヨハネ19:26)。「婦人よ!」と言ったのです。この二箇所しかイエス様のこの「婦人よ」という言葉は書いていない。
マリアに対するこの二つの冷たいイエス様のおことばの奥に神様の御業が、御心が示されていることを私たちは忘れてはならないのです。だから昔の教会の人はそれを、あのカナの結婚式のぶどう酒はイエス様の十字架の血である。血を暗示するものだと理解したのです。そのような信仰をもって昔の教会の人々はそのようにカナの結婚式を受け止めました。あのしるしは何だろうか。しるしの意味は何か。それはイエス様の十字架の血である。それは聖餐式の時のそれは聖餐式の時のイエス様がおっしゃった、「これはあなた方の罪、すべての人たちの罪を赦すわたしが流す血である。」というその聖餐式のことを示す事柄がカナの結婚式のぶどう酒のしるしであったということを私は信じます。だから昔から、私たちの信仰の先輩たちはそのような信仰を持っていてその信仰が今日の私たちにも伝えられていると思います。
カタコンベという場所をご存知ですか。2世紀から3世紀頃には、イタリアのローマの地下を掘ったところで礼拝をしていた。地下の墓地です。私は二回ほどそこを訪れて壁に描かれている壁画を見ました。そこにはカナの結婚式の絵がありました!それは聖餐式を意味する絵だったのです。私たちの先祖の信仰者たちは、カナの結婚式はイエス様の聖餐式を示すものであって、あのぶどう酒はイエス様の最後の晩餐の時のみ言葉にあるようにイエス様が十字架の上で流したもうたあの血であるということを示すしるしであると理解したのです。
西洋の美術史をずっと辿って見ますと、十世紀頃、もう既にローマの大きな教会の木の扉にはカナの結婚式と聖餐式の絵が一緒に描かれています。ちょうどレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)が描いているようなあのイエス様が弟子たちとテーブルについている絵です。それは聖餐式の姿です。その横には石の壷が描いてあるのです。十世紀の頃にはカナの結婚式はイエス様の聖餐式を意味するということになっていた。もう少し時代が進むと、ジョット(1266頃-1337)がパノマというところの礼拝堂に、カナの結婚式即イエス様の最後の晩餐という形を示すような絵(パノマのアレーナ美術館所蔵)を描いています。私はこの5月にイタリア旅行を計画しましてまたそれを見に行くことを計画しています。
聖餐式も結婚式も素晴らしい喜びの場です。結婚式に酒がないということはありえないことですね。日本では特にそうです。しかしそれが絶えるということはまさに喜びがなくなるという危機の場となるということです。そういう危機の時にイエス様はその危機を救った。そして皆はなぜかは知らないけれども良い酒が次々に後から出てくることを喜び楽しんだのです。
結婚式とは夫婦の愛がそこから出発して長い人生を旅してゆく素晴らしいスタートの日です。そのような喜びの日が悲しみとなってはならない。イエス様は悲しみになろうとするその危機のただ中に喜びを与えられた。それが水をぶどう酒に変えたというイエス様のみ業であったことを私たちは思いたいのです。
しかしそれだけでは終わらない。イエス様はその最初のしるしを行ってからいろいろな愛の業を行いました。そして十字架の人になって、カナの結婚式の時にマリアに言ったそのお言葉と同じ言葉を十字架の上で語られた。結婚式の出来事は、イエス様の時の流れをずっと辿って、十字架の時の場所につながってゆく。カナではこの時、イエス様は「わたしの時はまだ来ていない」とイエス様はおっしゃた(ヨハネ2:4)。時が来ていない。いつその時は来るのでしょうか。誰にも分からない。結婚式の時にはイエス様の時は、まだ来ていなかった。しかしあの福音書に記されたイエス様のご生涯の最後の時に、その「時」が来たのです! 十字架の時が来たのです!
その「時」はまさにカナの結婚式に栄光を表したのだと福音書記者ヨハネは書いているのです。イエス様の十字架の時こそ、まことに神様のご栄光が確実に示された時ではないでしょうか。そのような時のことを静かに瞑想しながらカナの結婚式の事柄や色々な事柄を思いながらイエス様のご生涯を辿りますときに、まことに私たちのためにイエス様が永遠の命を与えてくださるためにご自分の命を、血を通して示してくださったという福音のメッセージに私たちは辿り着き、気付かされるのでございます。
最後に一箇所、み言葉を読んで終わりたいと思います。ヨハネ14章27節のイエス様のお言葉です。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2002年12月29日 降誕後主日礼拝説教。テープ起こし:神崎伸神学生、文責:大柴譲治)
説教者の高倉美和牧師は日本福音ルーテル教会の引退教職で現在は熊本に在住。呉、天王寺、神水(くわみず)の各教会の牧師を務められた。音楽と美術とに造詣が深く、自らもピアノを弾き、歌を歌い、絵筆を持って絵の旅を続けている。昨年は心筋梗塞と脳梗塞と三度死線を越えてこられた。大柴牧師は神学生の頃に神水教会で高倉牧師の下にインターン実習を行っている。高倉矩子夫人は故山内六郎牧師のご息女。