– 歴史的な出来事に、むさしの勢も大きな貢献 - 江藤 直純(ルーテル学院大学学長)
エキュメニズム・エキュメニカル運動
-その意味と歴史-
昨今「エキュメニズム」とか「エキュメニカル」という言葉が説明抜きで使われるようになってきました。「超教派」という訳語は当たらないといえども遠からず、です。伝統的な教派にこだわらず、どの教会もみんな一緒に仲良くという響きですね。私が学生の頃は「世界教会運動」という言い方もありましたし、現在もっぱら使われている「教会一致運動」という呼び方もなされていました。
そもそもキリストの教会はひとつ、現実にはばらばらになっているけど、終末の完成の時には再びひとつになるというヴィジョンのもとに、今できることとして、諸教派諸伝統の相互の理解を深め(だから、生きた出会いが必要ですし、謙虚に学び合うことが必須です)、互いの個性の違いは尊重しつつ(福音もキリスト教もあまりに大きいので、一つのやり方では把握しきれません。伝統や教派をなくすことは考えられていません)、共通のものを確認し(必ずあるはずです、「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ」(エフェソ4章5節)、宣教と奉仕でともに働き、この経験がさらに一致を深めます)、共々に終末までの巡礼の旅を続けていこうという運動だと言ったらよいでしょうか。
統一によって一つに縛りあげるのではなく、「多様性における一致」を重んじます。しかし、組織的にまた伝統的に異なっているから、てんでばらばらでよいとするのではなく、「目に見える一致」を礼拝を一緒に行うことで、とりわけ聖餐を共に祝うことで確認しまた世に証しして行くことを目指しています。「和解と一致」を世に向かって呼びかける教会自身が互いに「和解し一致していな
ければ」誰も耳を傾けないでしょう。分裂は世の常、しかし、「みんなのものが一つとなるように」とは主イエス・キリストの切なる祈りなのです(ヨハネ17章20:26)。
十六世紀の宗教改革以来、己の信仰と教えの純粋さを強調する中で教会としては分裂に分裂を重ねてきました。二十世紀になってようやく機が熟し、対話を重ねては相手教会の教理や制度の研究、信仰生活の実践活動での協働、宣教協力がさまざまになされてきました。教会史上の重要な文書もいくつも生み出されました。二十世紀は「エキュメニズムの世紀」と呼ばれています。
第二バチカン公会議
-エキュメニズムへの大きな転換-
プロテスタント側では世界教会協議会の創設(1948年)が大きな出来事ですが、ローマ・カトリック教会は百年ぶりに公会議が開かれ、第二バチカン公会議(1962-65年)は典礼、教会、啓示、現代世界の四つの憲章が定められ、「今日化」の姿勢を鮮明にしました。その中で「エキュメニズム教令」も発表されました。昨年2014年はそれからちょうど50年の節目でした。
その教令の冒頭にこういう言葉が見出されます。「すべてのキリスト者間の一致を回復するよう促進することは、聖なる第二バチカン公会議の主要課題の一つである」。現実には分裂があるが、「このような分裂は真に明らかにキリストの意思に反し、また世にとってはつまずきであり、すべての造られたものに福音をのべ伝えるというもっとも聖なる大義にとって妨げとなっている」。だからこそ、三位一体の神の間の位格の一致に範型と起源を見出し、エキュメニカル活動に皆が参加するように呼びかけているのです。
「エキュメニズム教令」発布から五十年
この文書は、第二バチカン公会議で明らかにされた基本方針を簡潔明瞭にまとめたものです。わずかA5判29頁です。しかし、この小冊子にローマ・カトリック教会のエキュメニカル運動への不退転の決意を読み取ることができます。
その大きな流れを示した「エキュメニズムに関する教令」が発布されてまる50年を記念するために、日本でもこれまで約40年にわたって着実な関係を築いてきた三教会、ローマ・カトリック教会と日本聖公会と日本福音ルーテル教会が合意して開催したのが「記念礼拝」とそれに先立ってこの教令の意義を解明する「シンポジウム」でした。昨年1月30日(日)午後のこと、会場は目白にあるカトリック東京カテドラル関口教会でした。
記念のシンポジウムと合同礼拝
シンポジウムは江藤直純が司会をし、三教会で実際にエキュメニカル運動に参与している神学者が発表しました。最初は光延一郎神父(イエズス会司祭、上智大学神学部長)。「第二バチカン公会議とローマ・カトリック教会のエキュメニズム」と題して、公会議の根本動機とエキュメニズムの目標達成に至るためにたどるべき五つの段階を述べました。
「ローマ・カトリック教会と聖公会の国際対話について」と題して発表したのは西原廉太司祭(立教大学副総長)。1966年以来の対話が聖餐を含めて九項目の主要教理で両教会が共通理解に達しているが、現実にはいまだ聖餐を分かち合うことができていない実態があり、その理由が聖公会の職制をカトリックが公式には承認していないことであることも報告しました。
ルーテルからは石居基夫牧師(ルーテル神学校長)が「ローマ・カトリック教会とルーテル教会の対話」と題して1517年10月31日の「九十五箇条の提題」をきっかけに始まった宗教改革によって分裂に至ったが、来た
る2017年10月31日にはあのウィッテンベルク城教会でルーテル世界連盟とバチカンによって合同の記念礼拝がもたれることにまで至ったこと、そのために『争いから交わりへ』(邦訳は二月に出版)が両教会によって出されたことを語りました。
そのあとカテドラルを埋めた630名以上の信徒たちと共に、三教会の代表(岡田大司教、大畑主教、大柴総会副議長)の共同司式により記念礼拝は厳かにかつ非常に印象深く進められました。冒頭に「エキュメニズム教令」の一節が朗読され、三人が三つの器に入った水を一つの大きな器に注ぎ込みました。教会は異なっていても主に在って一つの洗礼に与っていることを表したのです。聖書朗読も共同祈願も三教会の教職・信徒が担当し、徳善義和名誉教授による自分史と重ね合せての日本エキュメニカル運動史を総括しつつこの道を進むことへの祝福に満ちた説教がありました。さらにキリストの教会が世の光であること、その務めを担って行く決意の表明として、聖壇上にいた多くの人が数えきれないほど多くのろうそくに火を点しました。平和の握手もまた和解と一致を求めるこの礼拝の精神が見える形で示しました。
カトリック・聖公会・ルーテル合同聖歌隊もすばらしい賛美の声を捧げました。礼拝とは言葉を超えてなんと力強く、心の奥底にまで響く福音の出来事であることかと改めて感じました。そこに居て初めて「エキュメニカルな教会であろう」と確信させられたことでした。
願いは二つ。二年後の宗教改革五百年記念をこのような、いえ、これ以上の合同礼拝で祝いたいということ。そして、遠くないいつの日か共に主の食卓に与りたいことです。
大柴、徳善、石居諸先生、また立山議長、鈴木教授や江藤などむさしの教会と関わりの深い教職や多くの信徒の方々が聖歌隊員また会衆として参加し、感動的な経験を分かち合った日でした。