「モーセは、山から下ったとき、自分が神と語っている間に、自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった。」(出エジプト34:29)
今、脳科学が面白い。臨床医として米国で長く実績を積まれた岡野憲一郎という精神科医がいる。『恥と自己愛の精神分析~対人恐怖から差別論まで』(岩崎学術出版会、1998)以来、関心の対象が重なることもあり、また同年(50歳)でもあることから、私が密かに注目してきた研究者である。最近その『脳科学と心の臨床~心理療法家・カウンセラーのために』(同、2006)を大変興味深く読んだ。
「その人らしさ」というものは脳のどの部分と関係しているのか。著者は言う。「現代の脳に関する知見が示すのは、脳にはただ一箇所、そこが誰かのものと置き換わったら『その人らしさ』が消えてしまう部位があるということである。そこが前頭葉、その中でも重要な『前頭前野』という部分である。もしあなたらしさがあなたの心が表現されたものであるならば、その心を宿しているのはまさにここなのである(ただしこの『その人らしさ』はあくまで人間性の表現であり、衝動性や粗暴さ等の動物的な側面は含めないものとする)」(p68)。前頭前野の働きの中心は「統合」と「執行」である。つまりそれは、私たちが持つあらゆる情報をまとめ上げ、それをもとに自己の行動や反応を計画し、実行に移す働きをする。人格の成熟のイメージと前頭前野の働きは切り離すことができない。
前頭前野はちょうど私たちの額の内側に接している部分で、「人間に角があるとしたら、ちょうどその生えてくる場所でもある」という指摘は面白かった。それで思い出したのがモーセである。「神の人」と呼ばれたモーセ(申命記33:1)は、一般に頭に角をはやした姿で描かれる(ミケランジェロ、ドレ、シャガールなど)。それはラテン語ウルガタ聖書が、出エジプト記34章のモーセがシナイ山から顏を輝かせながら降りてきたという場面でヘブル語の「光線」を「角」と誤訳したためであった。
私たちが敬愛する福山春代姉がこの3月10日に百歳を迎えられた。その若々しく輝くお姿にはいつも感銘を覚える。その柔軟さとバランス感覚、好奇心と観察力、記憶力と表現力、ユーモアのセンスと間合いの絶妙さなどは、天性のものもあろうが、長い信仰生活の中で培われてきたに違いない。キリストへの服従は、モーセ同様、私たちにも神の祝福の「角」を与え、前頭前野の働きを豐かにしてくれるのではないか。そう思うと信仰生活を積み重ねることが大きな楽しみになる。
(2007年5月号)