「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」(伝道の書3:11)
耐震補強工事が完成し、装い新たとなったむさしの教会の礼拝堂に戻ったのが10月30日。一ヶ月経って昂揚していた気持ちもようやく落ち着いてきた。もう師走。2005年も最後の月である。
思えば今年は、教会にとっても私にとっても疾風怒涛の一年であった。3月に牧師館の引っ越しがあり、7月と11月には牧師室の引っ越しがあった。一年に三度も重たい本を動かしたせいか四十肩になり、右手が上がりにくい。酉年生まれの私にとっては忘れられない一年となった。私だけでない。建築委員会と募金委員会の献身的な働きは言わずもがな。全信徒の中核として教会を統べてきた六人の役員にとっても2005年は大変な一年だったであろう。その労を多としたい。シックな色合いの落ち着いた礼拝堂を見ると労苦は既に報われていると感じるのは私一人だけではあるまい。
振り返ってみると、故河野哲氏に耐震診断を依頼したのが2003年の秋だったから、ここに至るまでに二年かかったことになる。しかし、その前の準備期間をも覚えねばなるまい。むさしの教会中長期宣教ビジョン委員会が立ち上げられたのが2001年2月4日の総会だったから、もう5年近く経ったことになる。その答申を受けて2002年の総会で施設検討委員会が設置される。また、二年をかけて編纂された『私たちの教会75年の歩み』が出版されたのも同じ年の10 月6日。そして2003年の耐震診断の実施。翌2004年1月31日。ガンとの闘病生活の中で自ら行った耐震診断結果を役員会に報告し、後輩の長塚威氏をご紹介くださった河野哲氏は、その翌日の日曜日に自宅で倒れ、56歳で天に召されてゆかれた。あまりに劇的な最後だった。その志を継承するかたちで長塚氏と河野芳子夫人が設計者として立ってくださった。
そのように見てゆくと、今回の改修の背後にも実に深い神さまのドラマがあったことが分かる。私たちが5年をかけ準備してきたことがこの一年で一挙に実現した。時が充ちたのである。募金は教会内外の多くの人の協力によって瞬く間に必要が満たされた。「私たちはこれから不思議な神さまのみ業を見ることになると思います。」そのような内的な声が私には聞こえていたが、その通りとなった。
むさしの教会の礼拝堂を大切に思う者たちの熱い祈りに、私は牧師として改めて姿勢を正される思いがしている。心を尽くして魂に響く礼拝を備えてゆきたい。ぜひクリスマスにはむさしの教会に足を運んでいただき、皆さんにもこの魂の礼拝堂をご自身の目で確かめていただきたいと願っている。
「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」 アーメン。
(2005年12月号)