多様性集団対均質性集団
一般社会における集団は、どこでも均質性を保っています。多くの集団はその集団に属するために適切な資質を求めます。そのために試験や面談をして一定の条件をクリアーした人たちが集まります。それに対して教会は一定条件を満足した人が集まるわけではありません。年令・性別を問わず、能力・資格を問題にしません。今日初めて教会に来た人もいれば、何十年と教会に来ている人もいます。多種多様な人が集まっているそれが教会です。
定年を迎え第二の人生として牧師になられた方がおいででありました。「私が会社にいた時は、これをしてくれと部下に言えば、すぐしてくれました。でも教会はちがいます。おいそれと物事が進みません。」 私は申しました。「それが教会というものでしょう。皆、それぞれに関心が異なり、生活環境もちがう。ですから教会では何事をするにも手間暇・時間がかかるものです。」その方は「そうですな。このような集団に若い頃から慣れている人が羨ましい」と言っておいででした。多様性これが教会の特質です。要するに、いろいろな人間がいることができる、それが教会です。
自主的運動体としての集団対命令制度で動く組織集団
一般社会の集団は、多く組織体としての性格を持っているものです。ですから命令や制度・規則で動きます。しかし、教会はその集団を構成する個人の自主性で動きます。信仰者が自ら身につけた聖書に基づく倫理観や価値観はありますが、それらを管理することはできません。教会は、あくまで自分の意思が優先する世界です。効率的に物事をこなし、目覚ましい実績をあげることを目的にした集団ではありません。
必要な無駄、無駄働き、非効率、それらが意味を持つ集団です。
気持ちが優先する人間集団対生産効率で動く集団
教会は、損得、あるいは生産効率で動く集団ではありません。ですから業績をあげるとか、自分の気持ちを抑えてでも誰かの配下に付く、誰かの命令に従うといったことはありません。上下関係なし、肩書き抜きで一緒にいるのです。そうなると気持ちが人間関係を作ります。気持ちは、人の本音を表すものです。人の本音が行き交い、温かい感じに満ちているか、厳めしい空気が流れているか、教会毎に雰囲気がちがうのは、そこに集う人々の気持ちの表れによります。
隣り人を愛する気持ちが優先する教会は活き活きしています。
永続的所属集団対限定的所属集団
一般社会の集団は所属期間が限られています。会社には定年があり、学校には在籍期間が設けられています。それに対して、教会には所属年限がありません。教会は、生涯を預け得る集団であり、死を越えて永遠に所属し得る集団です。死んでも召天会員として名を残します。生と死を結ぶ集団、それが教会なのです。天の教会という言葉はあっても、天の会社も学校もないのです。
ですから、生きている間にすべてを為し遂げることが出来なくてもよいところなのです。