「香の煙は、天使の手から、聖なる者たちの祈りと共に神の御前へ立ち上った。」(ヨハネ黙示録8:4)
以前信州で、サントリーウィスキー白州工場に行ったことがある。そこで「天使の取り分」という素敵な言葉に出会った。オーク樽に入れられたモルトウィスキーは、外気を呼吸して蒸発し、1年間におよそ3%の割合で減ってゆき、熟成を終えるころには樽の4分の1くらいは消えてなくなると説明書きにあった。それを職人たちは「天使の取り分」と言うのだそうだ。それを読んだ時ハッとして、「なるほど、これは人間も同じかもしれない」と思った。
人間の魂にも熟成期間が必要なのだと思う。じっくりと年月をかけてゆくところに深い味わいが出てくるのだ。そう考えると、歳を取るということは実に奥深いものに思えてくる。若い頃には見えなかったものが見えてくるからである。人間の次元を越えたところで私たちを守るために天使が働いており、私たちの人間としての成熟を助けてくれているのが見えてくる。私たちは一人ではないし、自らの力がすべてをもたらすわけではないのだ。歳月と場と出会い(さしずめそれらが私たちにとっての「オーク樽」か)とが私たちの魂を味わい深い琥珀色へと変化させてくれる。その時にいくつもの大切なものが私たちから失われてゆくとしても、それはおそらく「天使の取り分」であって、私たちの熟成のためには必要なものなのであろう。歳月と共に私たちの魂は熟成し、次第に神のみ前に軽やかに香ばしい香りとなってゆく。
サンテグジュペリの言葉。「ひとりの人間の年齢というものは、感動を誘う。それは彼の全生涯を要約している。その人間のものにほかならぬ成熟は、実にゆっくりと育てあげられてきたのだ。多くの障害を克服し、多くの重い病いから癒え、多くの苦悩を鎮め、多くの絶望を乗り越え、たいていは意識されなかったが、多くの危険を踏み越えて育てあげられてきたのだ。多くの欲望、多くの希望、多くの悔恨、多くの忘却、多くの愛を経て育てあげられてきたのだ。」
時は秋。収穫の秋。そして熟成の秋。教会の桜も葉が色づいてゆく。ジャズストリート、バザー、そしてクリスマスと続く。深まりゆく秋を今年も共に味わい楽しんでゆきたい。
(2003年10月号)