神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。(ヨハネ黙示録21:3-4)
「古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた
いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ
晴れ渡る日も雨の日も 浮かぶあの笑顔
思い出遠くあせても おもかげ探して
よみがえる日は 涙そうそう」
これは『涙そうそう』という曲の出だしである。ご子息の配偶者をガンで亡くされた一人のお母様がこの曲の存在を私に教えてくださった。自分の今の心境はこの歌詞の通りなのですと繰り返し告げながら。
これは森山良子さんがお兄さんを亡くされた時に作った詞であるが、沖縄出身のBeginが作曲、やはり沖縄出身の夏川りみが歌っている。「涙そうそう」は「なだそうそう」と読み、教会員の仲吉智子姉によると沖縄の言葉で涙が止めどもなく流れるさまを表しているということ。「涙ぽろぽろ」という意味になろうか。
「会者定離」と言われる通り、私たちは生きている限り、愛する者との辛く悲しい別離を体験しなければならない。それは生木を裂かれるような存在の深い痛みを伴う。誰しもが生老病死という四大苦からの解放を願いたくなる。しかし、有限ではあってもそのようにかけがえのない出会いが自分にも与えられていたという事実に思いを馳せる時、そのかたじけなさに涙こぼるる思いとなる。色づいてゆく落ち葉を見つめながら、改めて一期一会の生を大切にしたいと思う。
「一番星に祈る それが私のくせになり
夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す
悲しみにも喜びにも おもうあの笑顔
あなたの場所から私が見えたら
きっといつか会えると信じ 生きてゆく」
今年も11月3日は召天者記念主日。むさしの教会の召天者名簿に記されたお名前は171名。この十年で59名がみ国へと移された。不思議なことに思い出すのはその方たちの笑顔ばかり。笑顔というものがかくも私たちの魂に忘れ難い刻印を残すものであるということは、それは死の力よりも強いということを証明しているのではないか。愛は死よりも強し。天のみ国において私たちを待つのも、やはりキリストのうちに憩う愛する者の笑顔であろう。ご遺族の上に天来の慰めをお祈りしたい。
「晴れ渡る日も雨の日も 浮かぶあの笑顔
想い出遠くあせても さみしくて恋しくて
君への想い 涙そうそう
会いたくて会いたくて
君への想い 涙そうそう」