たより巻頭言「桜満開」 大柴 譲治

「さまざまのこと思ひ出す桜かな」(芭蕉)

 桜の寿命は人間と同じく80年と聞く。むさしの教会にも桜がある。故和田秀穂兄が苗を購入、初谷通利兄が植樹したものだ。既に樹齢四十年を越え、五本とも見事な大木に成長している。そのうちの一本は杉並区の保護樹木に指定されている。季節の移り変わってゆくことの不思議さを忘れがちな私たちに、それは生の神秘を味わわせてくれる。歴代の牧師や教会員たちもまた、この桜を眺めつつ、神へと思いを馳せたに違いない。近所の人たちも足を止め、その美しさにしばし時を忘れて見入っている。

 「あなたは人を塵に返し、『人の子よ、帰れ』と仰せになります。
千年といえども御目には、昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。
あなたは眠りの中に人を漂わせ、朝が来れば、人は草のように移ろいます。
朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい、夕べにはしおれ、枯れて行きます」
(詩編90・3-6)。

 私たちは花の美しさの中に生のはかなさを覚える。「願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」と歌ったのは西行法師。万物流転。諸行無常。花は私たちのたまゆらの命を想起させる。しかしそこに同時に、それらを越えて、向こう側から私たちに向かって常に「汝よ」と呼びかけてくださる「永遠の汝」たる神の声を聴くことができる者は幸いである。神の究極的ないのちの輝きを覚えたい。

 今は春。むさしのに桜満開!。祝イースター!