聖書箇所:ヨハネによる福音書8章31~36節
※特別編集 1)聖書朗読 00:02~ 2)説教 06:48~ 3)派遣の歌 29:19~
悔い改めが先か、愛を知ることが先か。まだ若かった頃(20代半ばだったと思いますが)、神学らしき事をかじったばかりの若き神学生二人、家内と私とで熱く論争を戦わせていたテーマです。
キリスト者一代目である私は、自身の経験・体験から、また書物などを通して、まずは罪の自覚が生まれ、悔い改めへと導かれていき、福音に触れることによって神さまの愛を知っていく道筋がキリスト者としての基本的な筋道ではないか、と主張していました。対して、私よりも優秀な神学生であった家内は二代目ということもあり、生まれながらに教会に行っていて、神さまの愛も知らされて来ました。
だからなのか、そんな神さまの愛を、犠牲的な愛を自分事として知ったからこそ、罪の自覚が生まれるのだ(これも家内の体験でもあったのでしょう)と主張していた。
私からすると、全く逆方向と思えたのです。当時、結婚の約束をしていた私たちは、時折車を借りては愛知県の実家にいくことがあったのですが、道中私が眠気に襲われると、家内は決まってこの話題をふりました。すると、私が急に勢いづいて持論を展開するもんですから、眠気が吹っ飛ぶわけです。
よくも心えたものです。ともかく、今となってはどうでも良い議論だったと思います。どちらが先でも構わない。神さまの御業は多様である。いちいち目くじらを立てる必要もない。
そう思う。しかし、そんなことで眠気が吹っ飛んでしまうくらいに熱くなれたことにも意味があったのだと思っています。互いに、譲れないほどの大切な、ある意味自分にとって決定的な出来事・体験があった、ということです。
今日は宗教改革主日です。ですので、先ほどはそのために特別に定められた日課を読みました(ヨハネ8章31節以下です)。しかし、通常の日課、聖霊降臨後第21主日の日課も捨て難いと思いましたので、手短に触れたいとも思っています。皆さんもよくご存知の「徴税人ザアカイ」の物語(ルカ19章1節以下)です。イエスさまがエリサレムに向かわれる途中でエリコの町に寄られたとき、おそらくその町の住人であったザアカイが一目イエスさまを見たいと思うわけですが、背が低いがために、人混みの中では見ることができないでいました。
そこで、先回りして、いちじく桑の木の上に登って一目見ようとした。どんな興味関心でそうしたかは分かりませんが、ザアカイが期待したのは、それだけです。一目どんな人かと見ることだけ。それだけだった。なのに、木の上のザアカイをイエスさまは見つけられて、声をかけられた。しかも、今日はあなたのところに泊まることにしている、なんて言われてしまった。ザアカイはどう思っただろうか。私たちには、その詳細は分かりません。
しかし、ザアカイの中で何かが起こったことは事実です。彼はこう語っているからです。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」。ザアカイが貪欲な人物だったのか、金に汚い人だったのかは分かりません。しかし、彼は「徴税人の頭」でした。金を儲けることに一所懸命な人生であったことは間違いないでしょう。その彼が、変わった。金を、財産をいくらか手放しても良いと思えるほどに変えられた。そんなことが、このザアカイの身に起こったのは確か。それを、イエスさまはこう言われたのです。
「今日、救いがこの家を訪れた」と。このザアカイの変化は、私たちの考えるような「救いの出来事」とは違っているように思えるのかもしれません。彼は私たちの言うところの罪の自覚や悔い改め、福音の受容などをしているようには思えないかもしれない。しかし、イエスさまは、そんなザアカイに対して「救いが来た」と言われたのです。それが、彼の変化として示された。私たちは、そのことも覚えて良いのだと思います。
言わずと知れた宗教改革の立役者は、私たちルーテル教会の先達であるマルティン・ルターです。しかし、これもよく指摘されていますように、彼は宗教改革を起こそうとして何かを行ってきたのではありませんでした。むしろ、自分自身の救いへの関心が、結果的に多くの人々を巻き込み、歴史を大きく動かすことになっていったのです。
彼の父の名は、ハンス・ルダー。この父ハンスも世襲制が慣習であった当時としては、非常に珍しい一代で財を成した努力家、今で言えばスタートアッパー・起業家でした。そんな父ハンスのことを、徳善先生は著書で「上昇志向の生き方」の人と言っておられます。そんな父ハンスの長男として生まれ期待されていたルターにも、その影響は色濃くありました。ルターもまた努力の人でした。あの有名な落雷事件で修道院入りを果たしたルターについても、徳善先生はこのように書いておられます。「『修道院に入ったとき、私は「いかにして恵みの神を獲得するのか」という問いを抱いていた』と晩年のルター回顧している。なにものかを獲得したいと強い意志を抱き、自らの能力の限りを尽くし、なんとかしてこれを得ようと努力すること。
これは父ハンスの人生の大命題であり、生きる上での信条でもあった。父の望んだ人生の階段を上ることを止めたルターであったが、しかしやはり、別の人生の階段を上りはじめたのである」。そんな父から受け継いだ人生訓、また当時の神学の潮流も相まって、ルターは完璧な修道士になるべく努力に努力を積み重ねていったわけです。しかし、その結果はもうお分かりでしょう。努力をすればするほど、どうしようもない自分の傲慢さ、罪深さに気付かされ、救いの確信、心の平安を得ることができませんでした。後の学者が指摘していますように、ある意味、半ば精神疾患に陥っていたのかも知れません。
しかし、彼は、聖書から福音に、恵みに触れることになった。自分の力、努力で救いを勝ち取るのではなくて、神さまの一方的な恵みとして、イエス・キリストのゆえに、救いは私たちの前に差し出されているのだ、と気付かされた。それが、彼自身の救いの体験となり、また、それが宗教改革の原動力にもなっていったわけです。それは、その喜びを自分自身にだけにとどめておけなかったからでもあるでしょう。
今から500年以上も前のことです。「宗教改革」「宗教改革」と言われても、今日の私たちにとってはなかなか馴染まないのも正直なところだと思います。私自身、宗教改革期のルターの著作を改めて読みましたが、違和感を感じました。あまりに、当時の状況と現在の私たちの状況とが違うからです。違いすぎるからです。それでも、一人の人が、一人の悩める修道士が救われたという事実は重いと思います。闇の中に閉ざされてしまっていた一人の人に、救いという光が差し込んできた事実は重いと思います。その重い事実が、隔世の感を禁じ得ない現代に生きる私たちの心も熱くする。
そして、それが、たった一人の出来事で終わらなかったという事実も、大変重いのだ、と思うのです。もし、ルターが単に自身の研鑽から生じた神学の、学問の問題として、新たな神学を提唱したに過ぎなかったとしたら、もし、ルターが当時の教会の腐敗撲滅運動を展開しただけだとしたら、これほど民衆を動かす、世界を、歴史を動かす運動になっただろうか。一人の人の救いの出来事だったからこそ、一人の人の闇の中に光が差し込んできた出来事だったからこそ、同じように救いを求める、光を求める多くの人々に共感を、信頼を、希望を生んだのではなかったか。そう思う。それもまた、重い事実ではないだろうか。
2000年前であろうと、500年前であろうと、現代であろうと、世界が全く異なろうとも、人は救われるのです。罪理解が先か、愛が先か、救われるための道筋は正しいのか、そんなことはどうでもいい。いいえ、どうでもよい訳ではないかも知れませんが(それを正したのが宗教改革ですから)、
それよりももっと大切なことがあるはずです。それは、何かが起こる、ということです。その人の内に、何かを起こす力が、イエスさまにはある。イエスさまを語る聖書にはある。時代も文化も超えて、確かにある。その事実を、まず重く受け止めたいと思うのです。
その事実に気づかせ、問い直させてくれるのが、宗教改革を覚えて記念していく一つの意味ではないか、と思います。