説教 「資格のない者の祈り」 石居正己

むさしの教会は2009年9月20日(日)にホームカミングデーを祝いました。それ

を記念して出版された石居正己牧師による説教集(1966-1968年)の復刻版
です。2010年3月20日に82歳で天の召しを受けられた恩師を記念して。
s.d.g.(大柴記)




「ふたりの人が祈るために宮に上った。パリサイ人も取税人も同じように祈るためにやってきた。」(ルカ18:9-14)

祈りは、最もよく信仰の姿勢があらわれるところである。そして、このふたりの祈りには、大きな相違があらわれた。

パリサイ人は、自分で神の目をうばいとり、自分自身と取税人とを比較し、判定を下した。そこにはもはや祈りはなくて、自分の独語があるだけである。神は、自分の観念の中でひとつの役割をしめているでくであり、主題にすぎない。祈りの相手ではなくなっている。

ティーリケは、その説教の中で、4人の子供を失った人の祈りについて語っている。その人は、神はなんと過酷な方であろうかと嘆じつつ、しかも、神はどうしてこのようなことを放任なさるのかとか、神はどうしてこのようなことをなさるのかとは問わなかった。そのような問いは、神へと語るのではなくて、神について語っているにすぎない。神は信頼の対象ではなく、討論のテーマにされてしまう。神はそのような人の手の中から、ぬけ出てしまわれる。彼はただ自分の観念としての神をもてあそんでいるにすぎない。

パリサイ人は、自分を誇ることによって、自分の判定を神のさばきとすりかえてしまう。

ところが取税人は、自分の判定を、ほかの人との比較にむけず、ひたすら神の前にある自分自身にむけている。取税人は、自分の弱さを知っていた。取税人は自分の行為をうとましく思っていたに違いない。取税人の資格で人々から恐れられていても、人々との心の交わりはなかった。おそらくは、その地位を利用して、私腹をこやすこともしたであろう。しかし、それはますます自分自身への不満を招いたかもしれない。彼はそのような自分を、かくすことなく、神の目に前にあきらかにする。罪人にほかならない自分であると判定を下す。しかしそこでとどまらない。

自分は、神のみ前に立つ資格なしと自認したが、しかしこの取税人は、だからといって、礼拝も祈りもせず、敬虔そうな人たちの仲間になれないと感じてすごすご神殿からひき下がって自分の部屋に閉じこもって、思いに沈んだのではない。胸を打ちながら、彼は「神様、罪人のわたしをおゆるし下さい」と訴えた。赦しを、神にこうていった。

私たちの祈りもまた、全く同様の性格をもっていなければならない。

けれども、さらにいくつかの点を注意しなければならない。

もしパリサイ人が、取税人をただ悪者の代表のように考えず、彼をあわれんでやったとしても、段階の違いを自認し、いわば高いところから、かわいそうな人よ、とあわれんでも、取税人の方が義とされて帰った状況をかえはしない。

そして神の判定は、決して一度限りではない。最後の審判の日までは、途中経過に外ならない。イエスのたとえの後日譚が、もし取税人が相変わらずの生活を続けているということであったとしたらどうであろうか。たしかに彼は悔いていた。しかしくやむだけで、終ってしまっていたら、実は本当に神に語ってはいなかったということになる。小さくても、少しずつでも、悔い改めにふさわしい実が生じてくるはずであり、またそうでなければならない。

パリサイ人にしても、取税人にしても、「不良品」のレッテルがはられてしまったのではない。そう考えられた時、そう考える人が転落してしまう。人のレッテルなら、その人自身にはりかえられるし、神のレッテルなら、なお恵みと忍耐の中にあるレッテルであることを考えなければならない。

取税人は、神殿から遠くはなれて立ち、目をあげようともせず、祈った。しかし、もうひとりの、最も遠い場所に身をおいて祈る方を考えなければならない。一番遠く、十字架の呪いの中に立ちながら、神よかれらを赦して下さいと祈り、シモン、シモン、あなたの信仰のために祈ったといわれた主ご自身を目の中にいれていなければならない。

いいがたい嘆きをもってとりなしたもうキリストご自身と、神との間に取税人の祈りはある。すべての者をつつむ主の祈りの中に支えられて、神のあわれみの中で、神を本当に相手として祈らなければならない。あがない主なるイエスのみ名によって、私たち自身の祈りも、心から、神に向って、注ぎださなければならない。

(三位一体後第11主日)