2-A. 結婚式~その障害となるもの




(東教区出版部発行ブックレット『喜びごと悲しみごと』1976年 5月 1日より)
むさしの教会元牧師で、ルーテル学院大学元教授(牧会カウンセリング)
賀来周一牧師によるやさしいキリスト教冠婚葬祭入門です。




喜びごと悲しみごと

2-A. 結婚式~その障害となるもの

キリスト者同志の場合には、それほど問題にならないことも、相手がノンクリスチャンの場合にはいろいろな障害が出て来ます。とくに、男性側がノンクリスチャンであって、いろいろとしきたりにうるさい家の場合、かなり立場は強くなったといっても、女性の側は困ります。このような時、私たちはやはり、結婚とは何かという原則的なことから、しかも聖書的なことから考えなければならないでしょう。聖書によれば結婚は、男と女の全人格的な結び付きです。ですから、 「君はスタイルがいいから好きだ」とか、「君は頭がいいから」とか、「月給が高い」 「可愛いいから」「ハンサムだから」といった理由で結び付くのは、本当の結び付きではありません。「君はクリスチャンだから」という理由だけで結婚が成立しないのと同じです。クリスチャンであるあなたの存在全体との結び付きが成立するところに本当の結婚が成立します。

ある一人の女性は、お見合の時に、自分が教会に行っていること、結婚をしても、教会をつづけたいことをはっきり言いました。相手からもし、自分と結婚を望むなら、教会にはいかないで欲しいと言われたため、その話を断ったということがありました。もし、その女性が、教会に行っていると言わなかったら、結婚が成立したかも知れません。しかし、それが果して幸福と言えるでしょうか。結局は、自分に不誠実であるばかりでなく、相手にも不誠実となるのではないでしょうか。自分がキリスト者であることを含めて自分の全存在を愛してくれる者との出会いが必ずあるものです。見合いであれ、恋愛であれ、自分がキリスト者であることを告白して、それでは駄目という相手なら止めてしまう方がよいのです。とくにこのことは女性の側に申し上げておきたいのです。なぜなら、相手はおそらく、あなたの外の美しさを愛していても、心を愛していないからです。もし、あなたの全体が好きであれば「私クリスチャンなのよ」と言えば、「なるほど、だからボクはキミがすきなんだ」と言うにちがいありません。そのように言う相手とめぐり合っていただきたいのです。もちろん、このことは男性側にも言えることにちがいありません。