(東教区出版部発行ブックレット『喜びごと悲しみごと』1976年 5月 1日より)
むさしの教会元牧師で、ルーテル学院大学元教授(牧会カウンセリング)
賀来周一牧師によるやさしいキリスト教冠婚葬祭入門です。
喜びごと悲しみごと
3-B. 聖書的でない考え~霊魂不滅説と煉獄思想
私たちは、ときどきキリスト教の考え方かなと思われながら、じつは聖書的でない教えにぶっつかるときがあります。その代表的なものが霊魂不滅説です。霊魂不滅説と聖書の永遠の生命とはよく混同されるのですが、これは違う考えに基づいています。
聖書では、人の死はまったく自然の現象なのです。人が死ぬのはまったく自然なのですけれども、ただ神の側からの約束として永遠の生命にあずかることができる。それによって、死を超えて生きるのです。そのためにキリストが死んで、復活してくださったのです。それを私たちは復活信仰と呼んでいます。ですから、永遠の生命とは、あくまで神の賜物であって、私たちの内側にもともと保有しているものではないのです。
それに反して、霊魂不滅説とはプラトン的二元論であって、人の死は不自然であって、死んではならず、死に反して人が永遠に生きたいとする希望を霊魂の不滅という思想で満足させたものです。言わば人間の永生への希望を人間の側からの可能性として把えようとしたものだということができます。前者はキリストの十字架と復活を抜きにしては考えられませんし、後者はキリストとまったく無関係なのです。
もうひとつの考えの中に煉獄思想があります。煉獄とは、ローマ教会の教理で一般の信者が死後、赴く場所と考えられています。生前犯した罪の大小、軽重によって、そこにとどまる期間が異なるとされるのです。煉獄では、人々は肉体をもちませんから、行為によって罪を償うことができません。したがって、行為の代わりに苦痛をもって罪を償うのです。この苦痛を少しでも短くするため、とりなしの祈り、喜捨、ミサが捧げられます。さらには、ルターの宗教改革の発端となった償罪符まで売りに出されたことは、たいていの方がご存知でしょう。
ルターは煉獄思想を批判し、悔い改めのない所には真の償罪はないと主張しました。このような死後の世界が描かれる大きな原因は、死後にもなお、時間とか空間の概念をあてはめるからです。死んだ後には、時間とか、空間というものは関係がありません。ただ、救いの完成者でいますイエス・キリストだけがいましたもうのです。