『むさしの教会とシンボル』 文と絵 青山 四郎
(むさしの教会文庫 1980年 4月20日発行)
むさしの教会元牧師の青山四郎牧師による文章です。
「むさしの教会に出入りしておられても、意外に皆さんが御存知ないことが多いのではないか
と思いますので、気付いたことを書きならべてみることにしました。御参考になれば幸いです。」
聖書には、教会という言葉がたくさん出てきます(マタイ16:18、その他)。教会はギリシャ語ではエクレシアと言いますが、もともとこれは「呼び集める」という意味であって、会衆とか人々の集合体とかを差すようになりました。つまり教会は建物ではなくて、信者の集まりであることを意味しています。イエスがおっしゃった場合も、その意味であったに違いありません。
初代教会の信者たちは、初めの頃は個人の住宅で、お天気の好い日には海辺や森の樹かげで、迫害が激しくなった時代には地下墓所(カタコンベ)に集まり、讃美歌をうたい、聖書を読み、祈りをし、説教を聞き、聖餐式を守っていました。
教会堂ができるようになったのは、二世紀後半以降ではないかと言われています。それは一つには信者が急速に増えてきて、小さな個人住宅では狭くなってきたこと、もう一つは有力者やお金持ちや権力を持った人たちが入信するようになり、大きな建造物をたてることが可能になってきたからだろうと思います。ですから教会堂は、御本尊を祭る神殿や寺院とはまるで別のもので、本来説教を聞いたり、聖餐式を守ったりするための場所にすぎません。
教会堂ができるようになると、ダビデやソロモンの神殿が思い出されたのかも知れませんが、いろいろのモザイク、絵画、ステンドグラス、彫刻等で、会堂の内外が飾られるようになりました。それは装飾の意味もありましたが、同時に集まってくる人々のための教育の意味もありました。そこでそのために、いろいろのシンボルが考え出され、用いられるようになりました。
最近ルネッサンスからバロックにかけてのキリスト教美術作品が、日本でも盛んに紹介されていますが、キリスト教のシンボルのことをはっきりつかんでいないと、正しく理解することがむづかしいでしょう。
さて、教会堂には、いろいろの建築様式があります。初めは、ローマの法廷をモデルにしたバシリカ様式のものから始まり、ビザンチン様式、ロマネスク様式、ゴシック様式と発展して、今日の現代風のものに到っています。
くわしい説明はまた別の機会に譲って、それでは私達の教会は何様式でしょうか。これは設計された河野通祐先生に伺ってみなければわかりませんが、素人の目から見ますと、どうやらそんな様式は乗り越えて、日本的な貧しい予算と資材にしばられた、極めて実用的な建築物だと言えるように思います。そんなことはいつかゆっくり河野先生から伺うことにして、入口から御案内しましょう。