「会堂の内部」




『むさしの教会とシンボル』 文と絵 青山 四郎

(むさしの教会文庫 1980年 4月20日発行)
むさしの教会元牧師の青山四郎牧師による文章です。

「むさしの教会に出入りしておられても、意外に皆さんが御存知ないことが多いのではないか
と思いますので、気付いたことを書きならべてみることにしました。御参考になれば幸いです。」




会堂の扉を開けると、内部の全体が目に入ってきます。

会堂の内部は私たちクリスチャンがみんなで礼拝を守るところですから、きよい所で、そのための構造には、それぞれの意味があります。

まずこの会堂は、北が正面の聖卓の方ですが、実際の方角とは別に、伝説的に正面の聖卓の方を東、向かって右が南、左が北、入口を西と呼ぶ慣わしがあります。東は太陽が昇る所、西は沈む所、南は温暖で使徒書の所、北は寒くて福音の場所です。

手前には、会衆の座る席 Pew が並んでいます。そしてこの座席のあるところを、ネーブ Nave と言います。これはラテン語の舟 Navis ということばから来ていて、その意味は前述のノアの箱舟の説明で述べた通りです。ここは、静かに祈り、みことばや説教を聞く所です。

その向こうの、少し高くなった所、会堂の東の隅をチャンセルと言います。チャンセルは英語の Chancel で、ラテン語の Cancelli latice (格子の仕切り)から来た言葉です。ネーブと仕切りで区別された場所で、辞書を見ると内陣と訳されていますが、それでは何だかお寺の感じがしますし、普通は使い慣れていないので、チャンセルで通します。

メソジスト教会系の本郷中央会堂や銀座教会、組合教会系の霊南坂教会、長老派系の富士見町教会等、プロテスタントの他の教会に行きますと、チャンセルに当たる所が、うんと高くなって、中央に大きな講壇が置かれ、講壇のうしろの正面に大きな椅子があって、牧師先生が座るようになっています。これは礼拝の一番の重点が説教に置かれているからで、わたしなどは、何か威圧を感じます。これは礼拝についての考え方の相違も大いに関係があるようです。正面の高い所から語られるみことばを聞くのも大切ですが、私たちルーテル教会は、みことばと聖餐を中心にし、みんなで神を讃美し、罪を告白し、みことばを聞き、捧げものをし、聖卓をかこんで聖餐の恵みをうけるのが礼拝の大切な点ですから、会堂の造りも、そのように出来ています。

会衆席(ネーブ)とチャンセルの境には、御覧のように仕切りのレールの名残があります。昔は聖職者と一般信徒の区別がきびしくて、この境にはカーテンまでついていることがありました。そして信徒はチャンセルにはいることが出来ず、レールの所にひざまずいて、聖餐をうけていました。今ではそんなきびしさは無くなって、私たちはチャンセルの中に入り、聖卓を囲んで聖餐を受けています。
altar チャンセルの中央点に聖卓 Altar があります。これは聖餐式を行う卓で、会堂の中では一番聖なる場所とされています。ですから私たちは、いつもここを清潔にし、大切に扱う必要があります。聖卓は、昔から木か石で作られてきました。本来テーブルですから、木で作られるのは自然ですが、ずっと昔は石造の方が多かったようです。それは、地下墓所(カタコンベ)で礼拝をし、殉教者や亡くなった信者たちの墓石の上で聖餐式を守っていたのが伝統になったと言われています。うちの教会のは石ではありませんが、コンクリートですから、その流れを受けついでいると言えます。

聖卓のまわりが少し高くなっています。ここをサンクチュアリー Sanctuary と言います。聖所とでも訳したらいいのでしょうか。
pulpit チャンセルの中、向かって右には説教台 Pulpit があり、左には聖書朗読台 Lectern があります。そして聖卓の横には、神学校教会時代の古い洗礼盤があります。私たちの教会のどれだけの多くの兄弟姉妹が、これで洗礼を受けたことでしょうか。
bible また左横には、聖歌隊(コワイヤー)の席があり、オルガンがあります。これは昔から礼拝にはなくてならぬもので、ずっと昔は聖歌隊は聖職者のつとめで、その場所もコワイヤーと言いました。