むさしのバザー2000

教会が輝く秋の日  市吉伸行(2000年度バザー委員長)

今年もまたバザーに向けた準備が始まっている。バザーは教会員の誰もが(そして求道者の方々も)働き手として期待される全教会的な行事である。「全聖徒の日」ならぬ「全マルタの日」と言っても良い。今年の委員長を仰せつかったが、副委員長二人体制をお許し頂き、野上姉、安間兄という心強いパートナーを得た。

一昨年から試みにバザー来場者にアンケートが実施されている。回収役の積極的な呼びかけのお陰で、昨年は百を越える回収数があった。回答は総じて好意的である。「活気があるし、人が皆フレンドリーで楽しい」、「あたたかい雰囲気でいいです」、「とにかく安い!品も多い!皆様とても感じの良い方ばかりで、また来年も来たいと思わせるバザーでした」といった感想を読んでいると、とても嬉しく、励ましのお返しを受けた気分になる。バザーの日、教会は内から輝き、そのオーラを来場者に伝えていた。マルタたちは自覚せぬ間にマリアの業をなしていたのかも知れない。

ただ、高齢化の波は武蔵野教会にも押し寄せてきている。第1回バザー委員会の冒頭で、大柴先生は次のようなことを話された。十年後には今まで出来たことが出来なくなるだろう、この春のアート展のように文化重視へ変わって行くことになるだろう、と。バザーの準備は、お喋りしながらお茶飲みながらの楽しい面もあるが、大変であることも否定できない。私たちの十年後、二十年後を想像すると、大柴先生の予言が現実として実感される。

でも、今年のバザーは、そして皆の元気のある内は、今までのバザーを続けたい。武蔵野教会のバザーは伝統があり、各グループが持ち場をがっちりと守り、フリーの人も手の薄い所に自然に加わり、全体が輪のように機能してきた。そのような強い土台があるから、ここ数年のように幾つか試みをすることができる。アンケートで要望を書いて下さった方も何人もおられた。そういった声に少しずつ答えて行くことで、古い伝統の上に新しい伝統を積み重ねて行くことができ、また来場者の方々と息の長い対話ができるだろう。そのような中で徐々に21世紀の武蔵野のバザーの姿が見えてくるような気がする。

そして、武蔵野教会は深い井戸のような集まりだ。釣瓶を浅く降ろせば上澄みの水が汲め、深く降ろせば底の方の水が汲める。まだまだタラントは汲み尽くされてはいない。若い世代もいる。一番願うのは、教会に来て日の浅い方、様々な事情で少し足が遠のいている方、心が消極的になっている方、そんな方々が自ら働き場を見出し、あるいは与えられ、あるいは引っ張られ、いずれにしても準備や当日の働き手となり、バザーの日の教会の輝きに連なって下さることだ。そして、一日の終わりの快い疲れの中で、自分たちが来場者の皆さんに輝きを分け与えていたことにふと気づく。そんなバザーがこれからもずっと続いて行くことを祈っている。