むさしの教会では、クリスマスには次の集会を行います。ご参加ください。
『クリスマスシンフォニー~むさしの教会のクリスマス』
(るうてる1998年12月号) 大柴 譲治
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2:14)。今年もクリスマスの季節を迎えた。ふと耳をすませると、天からの調べが聞こえてくるような気がする。「天に栄光、地に平和」。天使たちの美しい喜びの歌声が天空に響きわたる。それは私たちのための天からの贈り物、闇に輝く光、喜びのシンフォニー。やがてクリスマスが、北半球では闇の最も深いときに祝われるようになったこともうなずけるように思う。「グロリア・イン・エクセルシス・デオ」。クリスマスはそのような天空の響きに満ちている。
クリスマスは神秘の時でもある。小さい頃からのクリスマスにまつわる様々な思い出が走馬燈のように私たちの心に去来する。どれも色鮮やかな記憶である。ディケンズの『クリスマス・キャロル』ではないが、クリスマスは私たちの過去と現在、そして未来とを一つに結びつけてくれるような不思議な時でもある。
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった!」これは、幼いときの幼稚園や教会学校での聖誕劇を覚えているのだろうか、とても懐かしい響きのする言葉でもある。懐かしく思う理由はそれだけではないであろう。ここにこそ私たちの生の原点が示されているからだ。私たちの人生の中で最も大切な事柄が示されているからだ。東方からの博士たちは「その星を見て喜びにあふれた」(マタイ2:10)。なぜか。それは、彼らがその星の輝きの中に「インマヌエルの神」と「本当の自分自身」とを見出すことができたからだ。ここに私たちの原点もある。「光あれ」という神の言によって天地創造が始まったとすれば、このみ言葉の中に、この光の中に私たちの生命も創造されている。そしてそこにはまた、私たちがやがて帰ってゆくべき天のふるさとも備えられている。クリスマスは、私たちの過去と現在と未来とを、そのような神の光の中に一つに結びつけてくれる不思議な時でもある。「天に栄光、地に平和!」天空のシンフォニーが私たちの人生を貫いて響いている。この響きの中に、そしてこの光の中に私たちの本当の命がある。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」(ヨハネ1:4~5)。
「光」に関しては、八木重吉の詩を思い起こす(「貫く光」、詩集『秋の瞳』より)。
はじめに ひかりがありました
ひかりは 哀しかつたのです
ひかりは
ありと あらゆるものを
つらぬいて ながれました
あらゆるものに 息を あたへました
にんげんのこころも
ひかりのなかに うまれました
いつまでも いつまでも
かなしかれと 祝福(いわわ)れながら
むさしの教会のクリスマスも楽の音に溢れている。神学校教会時代から数えて73年、いつも豊かな音楽的な響きがそこにはあった。歴代の教会員には音楽の賜物を豊かに持つ方が多かったし、今も多い。つい先日も音楽葬とも呼ぶべきご葬儀があり、参列された渡辺玲子女史の奏でるバッハの無伴奏バイオリンソナタの響きが透き通るように会堂全体を貫いた。そこには悲しみの中にも天使の歌声が聴こえてきたように感じた。また、小編成の弦楽器をバックにして守られるクリスマスイブの音楽礼拝(会員の池宮英才兄指揮による東京バッハアンサンブルの演奏)は、それに続くキャロリングと並んで、むさしの教会のクリスマスの名物となって久しい(既に18年以上の歴史がある)。耳をすませば・・・そこには聞こえてくるのだ、天空からのクリスマスシンフォニーが。「天に栄光、地に平和」と。
神学生時代にこの教会で奉仕していた時のクリスマスのことである。私は懸命にメサイアの練習をしたのだが本番では歌えなかった。本番直前にロウソクの火がキスラー先生から借りた大切な黒いガウンの袖に燃え移ってしまい、あわや「燃える柴」となるところだったのだ。発見が早かったため事なきを得たが、今でも思い出すとヒヤッとする。後にも先にも火のついた神学生は私一人であろう。恥ずかしくもあるが、それは私にとってはとてもシンボリカルな思い出でもある。ロウソクの火の中に私の牧師としての原点が示された出来事でもあったのだと思う。人間的な思いは燃え尽きてよい。神の言はしかし燃え尽きることはないのだ。「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ40:8)。この教会に集った信仰者の群れは、その歴史を越えて、揺るぐことのないみ言葉に信を置き、天使たちの歌声に連なってきたのだ。「グロリア・イン・エクセルシス・デオ」。
むさしの教会の歴史は、1925年10月4日、鷺宮の日本ルーテル神学専門校(現在は白鷺ハイムが建っている)において最初の礼拝が行われたところから始まる。1935年2月に旧礼拝堂(日吉教会会堂として現存)が献堂され、1958年には「日本福音ルーテル神学校教会」から「日本福音ルーテル武蔵野教会」と名称が変更され、現在地に新会堂が与えられた(会員の河野道祐・こうのみちすけ兄による設計。なお、今年の総会で「むさしの教会」というひらがな表記の通称が正式に認められた)。以降、1969年に神学校が三鷹の地に移った後も、この地において宣教活動を続けてきた。歴代の牧師・宣教師は、E.T.ホールン、三浦豕(みうらいのこ)、青山四郎(出征中は名尾耕作、青山彦太郎、北森嘉蔵の応援を得る)、益田啓作、石居正己、ヨハンナ・ヘンシェル、ルーサー・キスラー、賀来周一、石居基夫、徳善義和、そして大柴譲治と続く。
「神学校教会の時代からバザーの献品をしてきました」というご近所の方もおられて、教会と白鷺ハイムに現存する桜の木々の年輪と共に、73年の地域に根ざした歴史の重みを感じさせる。いつの頃か(おそらくヘンシェル先生の頃からであろう)、リンゴを飾りつけたクリスマスツリーもなくてはならないものになっている。クリスマスは、そのようなむさしの教会の過去と現在と未来とをキリストの光の中に一つに結び合わせる、そのような時でもある。私たちの教会では、73回のクリスマスを祝う中で、148名の方々が天へと移されていった。すでに天上にある者も、いまだ地上にある者も、共に声を合わせて歌うのである。「グロリア・イン・エクセルシス・デオ」と。
マルチン・ルターのクリスマスツリー
宗教改革者で知られるマルチン・ルターは、また、クリスマスツリーに火のついたロウソクを飾り付けた最初の人としてもし知られています。それは、あるクリスマスイブのことです。教会で礼拝を終えたルターは、近道をするために森を抜けて家路を急いでいました。ところが、彼が森に深く分け入るにつれて、道を見分けられなくなるほど暗くなってしまいました。そのとき突然、彼はかすかな光を目にしました。木々を見上げてみると、枝を通して何百もの小さな星の光が彼に降り注いでいたのです。神様が、帰り道を照らすための星の光を遣わしてくださったのだと、ルターは信じました。
そして、彼は家へと急ぎ家の近くで生えていた小さなモミの木を手に入れました。食事の後、彼はモミの木をテーブルの上に立てて、その枝にたくさんのロウソクを結び付けました。そして、子ども達に彼がどのようにして暗い森で迷い、神様がどのようにして家路へと導くために光を遣わしてくださったかを話して聞かせました。モミの木のロウソクの明かりは、森の木々の枝を通して輝いていた星の光を表しているのでした。
そして、それ以来ドイツではこの小さなお話を記念して、クリスマスツリーにロウソクを飾るようになったということです。