【説教・音声版】2023年3月19日(日)10:30 四旬節第4主日 説 教「 イエスに救われた人 」浅野 直樹 牧師



聖書箇所:ヨハネによる福音書9章1~41節

先週は、サマリアの女性とイエスさまとの対話の物語でしたが、今朝の日課は、生まれつき目の不自由だった一人の人の癒しの物語です。そんな先週の日課が、イエスさまとの出会いの物語…、このサマリアの女性がイエスさまと出会い、対話をしていく中で信じるようにされていった物語であるならば、今朝のこの物語は、その後の物語、つまりイエスさまの奇跡を体験して、その後の歩みを描いていった物語と言っても良いのではないでしょうか。



この生まれつき目の不自由だった人とイエスさまとの出会いも、まさに「偶然」の出会いと言っても良いのかもしれません。イエスさまはたまたま近くを通り過ぎようとしていただけです。ひょっとすると、弟子たちの問いかけがなければ、そのまま通り過ぎられたのかもしれません。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」。私たちにも、なんとなく分かる問い・疑問です。因果応報…、物事が起こるには原因がある、この人が生まれながらに不幸だとしたら、その不幸の原因が必ずあるからだ。この21世紀になっても、私たちの中からは完全に消えきってしまっていない思いがどこかにあるのも事実でしょう。

この人は、生まれつき目が見えませんでした。産み育ててくれた両親の顔も、自分自身の顔、姿、手足も、見ることができなかった。残念ながら、全くの闇に閉ざされていたのです。今でこそ、多少なりとも、障害のある方々への理解が深まり、社会に出ていくためのサポートも不十分とはいえ、整いつつあると思いますが、当時です、今から2000年も前のこと、当然そういった意識・認識もない社会です。むしろ、先ほども言いましたように、この不幸の原因は罪にあるとされるような社会。もちろん、同情もあったでしょうが、まともな社会生活が営めるはずもありません。ですから、彼もまた、御多分にもれず「物乞い」をしていたとあります。来る日も来る日も、真っ暗な中に、誰かに支えられ、運ばれていって、一日ただ座って、人々の同情に縋るしかない生活が続いていく。どんな思いで日々を過ごしていたのだろうか。想像もできません。



先日、読書会がありました。その中で、色々な話題が飛び交っていましたが、今の若者たちは、大変な苦境の中にいる、といった話題

となった。そこで、かつては努力が報われる社会だったが、今はそうではない、といった指摘・ご意見が出ました。私も、そうだと思っています。しかし、一方で、「努力神話」とも言えるような状況がいまだに強く社会を覆っていることに、私自身としては、いかがなものか、といった思いがあるのも正直なところです。もちろん、「努力」自体を否定しているのではありません。事実、度々自分の子どもたちに努力の必要性を説いているつもりです(彼らからはウザがられていると思いますが)。しかし、あらゆる局面で「努力」が評価、判断の基準になり、努力不足、頑張りが足りない、といったレッテルが貼られてしまうことに問題を感じるのです。

この生まれつき目の不自由だった人は、果たして努力不足だったでしょうか。いいえ、もっといえば、そもそも努力ができたでしょうか。生まれながらに、大きなハンデがあり、彼の置かれた環境・社会も、少なくとも障害を抱えた彼にとっては最悪だったでしょう。努力して、自分の人生を切り開くことなど、考えることも、思い描くこともできなかったと思います。

では、現在は、21世紀の今はどうか。確かに、かつてよりははるかに努力が報われる社会となったと思います。しかし、やはり今日においても、努力そのものをすることさえも難しくさせているものが多くあることも覚えるのです。家庭的な問題、経済的な問題、性格的な問題、精神的な問題、教育の問題、もちろん、肉体的なことも。それらによって、様々な傷を負い、トラウマを抱え、本人だけではどうすることもできない課題を抱えている、「努力」という基準だけでは推しはかることのできない人々も多くいることを私たちは忘れてはいけないし、また、私たち自身も、その呪縛に捕らわれないように気を付ける必要があるようにも思うのです。

私たちの周りには、この私たちの生きる社会には、多くの呪いがあるのです。本人次第という呪いが、努力次第という呪いが、運命論的な呪いが、私たちを縛り上げてしまっている。

エル・グレコ『盲人の治癒』(1567-1570年頃)、アルテ・マイスター絵画館 (ドレスデン)


「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」。確かに、彼が生まれながらに目が見えなかったことは、大変な不幸だったでしょう。しかし、それに輪を掛けるようにして、罪の結果だという因果応報的な呪いに、これは自分の力ではいかようにもしがたく、ただその運命を受け入れるしかない、といった運命論的な呪いに、何倍も苦しめられて、ますます彼を不幸へと突き落としていったのではなかったか、そう思うのです。

しかし、イエスさまはこう語られます。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」。しかも、イエスさまのこの言葉は、口先だけでも単なる気休めでもありませんでした。彼の目は見えるようになった。まさに、イエスさまはご自分が語られた神さまの業を体現されたのです。これは、まさに奇跡です。もちろん、目が見えるようになったことも奇跡に違いないのですが、それよりも彼自身が救われたことが奇跡でした。

もし、たとえ奇跡的に目が見えるようになったとしても(現代の医療技術ならば不可能なことではないのかもしれません)、彼を捕らえて離さなかった呪いが、彼にまとわりついている限り、彼は自由に生きることはできなかったでしょう。それこそ、単に見えなかったものが見えるようになった、という出来事だけです。そうではなくて、彼は救われたのです。呪いから解き放なたれたのです。もう、自分の出自も、人生も、自分自身も呪う必要がなくなった。むしろ、その全てに神さまのみ業を見ることになった。この体験が救いでなくてなんだろうか。

ある方の説教集に、目の見えない方々の集会での体験談が記されていました。今回、改めてこの話をする中で、私自身としては少々申し訳ない気持ちを持っています。目の見えない方々のご苦労を知りもしないで話をしているからです。その牧師もそんな思いがあったのでしょうか。その集会の中で次々と目の不自由な方々が証をなさったそうです。しかも、この箇所を取り上げて、自分の物語のように、救いの喜びを語られたという。そこで、その牧師も少々戸惑いまして、実際にはこの男性のように目が見えるようにされたわけではないのに、どうして自分ごととしてこの物語を捉えることができるのか、と不思議に思われたようなのです。そうだとすれば、肉眼に光が戻ることだけが救いということではないのでしょう。もちろん、それに越したことがないにしろ、相変わらず肉眼では光を捉えることができなくても、違った光、イエスさまの光、救いの光、本当に心の中を照らす、様々な呪いをかき消す、そんな光がまさに見えるようになったのだ、と思うのです。



それにしても、この物語を読んでいて不思議に思うことは、この癒しの物語を誰も喜んでいない、ということです。この男性が何歳だったかは分かりませんが、すでに大人になっていたでしょう。生まれてこのかた何十年もの間、闇に閉ざされ不自由に生きざるをえなかった人が解放されたのに、その事実を共に喜んでくれる人が一人もいなかった。両親でさえも、社会の目を憚って喜んではくれませんでした。しかも、何か悪いことをしたかのように詰問されるような始末です。

ここのところについては、このヨハネ福音書と非常に関係の深い「ヨハネの教会」の実体験も込められているのではないか、とも言われています。ご存知のように、初期の頃は、キリスト者・教会はナザレ派といわれ、いわゆるユダヤ教の一派と考えられていた訳ですが、次第にその違いが鮮明になるにつれ、教会はユダヤ教側から迫害を受けるようになったのです。いわゆる「会堂追放」です。後に、この癒された男性も会堂から追い出されていますが、そういった「ヨハネの教会」の実体験が重ね合わせられていると考えられている訳です。

先ほども、先日行われました読書会について少し触れましたが、今回読書会のテキストとなったのが、加賀乙彦著の『片山右近』(講談社文庫)でした。ご存知のように、我が国日本でも、豊臣時代、徳川時代と、大変なキリシタン弾圧が起こりました。無数の殉教者が出たものです。その中でも出た話ですが、何もそういった時代だけでなく、あの太平洋戦争中もあった訳です。私たちルーテル教会の大先輩である岸千年先生も当時の特高にこっぴどくやられた、という話も伺いました。日本は必ずしも宗教に寛容ではない、ということです。もちろん、時代も違います。今日は、あの「ヨハネの教会」の時代とも、「高山右近」の時代とも違う。必ずしも殉教が奨励されるような時代ではありません。

しかし、と同時に、必ずしもキリスト者に寛容ではない、ということも私たちは覚える必要があるのかもしれません。この癒された人のように、救われたことを共に喜んでくれるどころか、むしろ、いぶかられたり、心無い視線を向けられることだって、無縁ではないでしょう。それでも、です。この物語から学ぶことの一つは、そのことだと思うのです。つまり、生きる、ということです。見えなかった、見えていなかったものが見えるようにされる。光が与えられる。呪いから解き放たれる。それは確かに救いの出来事であり、かけがえのない体験に違いないのですが、それでおしまいではない、ということです。この人の、私たちの人生はそこからはじまる。これまでとは違った問題、あるいは不幸にも直面せざるを得ないかもしれません。救われたら後は薔薇色とはいかない。



そこから、彼のように、時には迫害のような目にも遭うかもしれない。それでも、それでも、彼のあの体験はやはり大きかった。彼は、あの体験があったからこそ怯ま

なかった。むしろ、反対の声に、心無い声に晒されれば晒されるほど、彼はより自身の体験を、確信を確かにしていったのではなかったか。そう思うのです。もちろん、なかなか簡単なことではないことは私自身も百も承知しているつもりですが、彼のようになれ、とも言いませんが、少なくとも彼から学ぶことも少なくないのではないか、そう思っています。

最後にもう一つ、このことだけはお伝えしたいと思います。福音書の中には、度々このように目の不自由な方の癒しの物語が出てきますが、それらとこの物語とはちょっと違っているところがあると思っています。それは、目が見えるようになって最初に見た顔がイエスさまのお顔ではなかった、ということです。自分を癒してくれた、救ってくださった方の本当の姿を見るまでに、多少なりとも時間を要した、ということです。ここにも、なんだか意味があるように思っています。私たちもまた、イエスさまに救っていただきましたが、最初っからイエスさまのことが十全に分かるということではないからです。まだ、はっきりとイエスさまのお顔は見えていないかもしれない。

しかし、いずれ、必ず見えるときがくる。いいえ、イエスさまの方から訪ねてくださって、顔と顔とを合わせてくださる。だからこそ、この男性のように、「主よ、信じます」とも言えるようになるのだと思うのです。