教会だより「むさしの」300号によせて 小山 茂

300号記念発刊おめでとうございます。私が教会だよりに関わっていたのは、1985年2月号(161号)より1992年2月号(245号)でした。私が編集委員に加わった時の編集長は大谷季姉(伊豆高原ゆうゆうの里で御療養中)で、新しく守屋勇一兄・小出邦子姉と私の三人が加わりました。当時は月一回の編集会議が土曜日夜6時から開かれ、賀来先生や神学生も加わってもらい、お茶を飲みながら相談し、その場で電話にて原稿依頼をしました。直前の原稿締切とその催促、発行日前日の土曜日は石垣通子姉頼りの8ページの割振りと印刷でした。途中で大谷季姉が病気になられて、気が付いたら編集長になっていました。また賀来先生に「むさしのが届くと最初に目を通すのは編集後記だよ」と言われて、8ページ最後の「ろびい」の原稿を私が担当していましたので、プレッシャーを感じてしまいました。編集後記の題材が思い付かないと、好きな山歩きを通しての自然への憧れ、音楽や演奏会の印象、後半は当時子育てに夢中の私の心境から子供のことを書いていました。

 編集に携わって心掛けていたのは、背伸びをしないで自分の言葉で書こうでした。信仰の先達がたくさんいらっしゃる当教会の教会だよりで、私が編集を担うには幼い信仰をスタートラインにして始めるよりしょうがないと、一種の居直りに近いものでした。原稿を書き終えて印刷され出来上がったものを読んで、冷汗の出る思いを何度も致しました。

 今当時の「むさしの」を読み返してみると、懐かしく思い起こされ、編集に携わっていて良かったなと素直に思われます。その時は締め切りに追われてそんな余裕もありませんでしたが。

 やはり一番難しいのは、原稿を頂くことでした。そこでありがたかったのは、定期的に貰える原稿でした。福山猛牧師の2年間にわたる和歌、河野通祐兄の「むさしの教会の建築」、河野悦子姉の「アメリカの教会生活」、守屋勇一兄の「パウロの世界を訪ねる旅」、田坂宏兄の「教会の歳時記」などたいへん助かりました。皆様に支えられて教会だよりが毎月発行され、特に武蔵野教会の礼拝に出席できない方、遠隔地の方に、大きな力・伝道の働きとなっています。

 当初この教会だよりは活字を一文字つづ拾い、輪転機で原稿を切り印刷されていました。1985年2月号からワープロが導入され教会でも事務のOA化が始まり、以前より楽になりました。それでも教会だより300号達成は石垣通子姉抜きでは考えられません。継続は力です。次は400号・500号と続くことを願っております。「むさしの」を毎月発送して下さるマルタ会の皆様にも、感謝いたします。最後に皆様よりの御意見や御希望を編集委員に送って下さい。何よりの励みとなります。


(むさしの教会だより 1996年12月号より)