「エルガテースにようこそ!!」 杉村太郎

“Usus omnium rerum optimus magister est.”(あらゆるものの経験は、最良の教師である)

こんにちは新青年会エルガテース(ギリシャ語で「働き人」の意)代表の杉村太郎です。

突然ですが皆さんは一人の人間が一生の内にどれだけのことを経験できると思われるでしょうか。おそらくは、このように答えられるでしょう。 “0mnia non possumus omnes.” (我々は皆すべてのことをすることはできない)。 だからこそ日々の生活の中で可能な限り多くを経験しようと努力していかなければならないのではないでしょうか。「経験」は様々な姿に形を変えて我々に知識と学びを提供してくれるのです。だから経験することを躊躇していては学びの場を自らが放棄していることになってしまいます。しかし、やはり個人が経験できることには限界があるでしょう。だからこそ、読書や映画鑑賞を通じて自己の経験の限界を突破して豊かな想像力を持つ力を与えてもらうのです。新青年会エルガテースはその為に日々様々なことに挑戦するグループであることを目指して頑張っています。

さて、最近は情報過多な世の中でありそのような環境に我々も身を置いています。知識は多いほど良いと言いますが、それは時と場合によって是非が分かれてくることだと思います。情報があり過ぎることによって正しい選択肢を選ぶことを著しく妨害してしまうことがあります。これはどう考えても情報が人を苦しめている状態です。一方で、ある動物に遭遇してその生態を知らないと不安ですが、その動物についての知識を備えていれば上手く対応することができます。「いつ」「どのような場所で」「どのように」「どの知識」を用いればよいのか、それが重要なことなのです。その力をつけるためには情報や知識を「考えて」活用しなければなりません。その「考える」力を養うためには考える訓練をする場が必要です。それこそまさに実践的に学ぶ経験の場とディスカッションを交えた読書会や映画鑑賞などによる自己超越的経験の場であると考えています。

また、経験による学びは一人だけでも不可能ではありませんが、他者との交わりの中で発見することも多くあります。それは、中世のスコラ学者ベルナルドゥスが “Multi multa sapiunt et se ipsos nesciunt.” (多くの人は多くのことを知っているが、自分自身のことは知らない) と言うように、自分自身も知らない自分を他者の言葉から発見することにも繋がっているのです。 “Occasio aegre offertur, facile ammittitur.” (機会はやっとのことで与えられ、容易にに失われる)。 経験はその人にとって大切な宝物になります。それが他者との交わりの中で得た経験ならなおさらではないでしょうか。

“Omnia mutantur, nos et mutamur in illis.” (すべてのものは変わる、われわれもまたすべてのもののなかで変わっていく)。

【編集部取材班より: 5月からエルガテース主催の読書会が始まりました。第1弾は聖アウグスチヌスの「告白」。毎月第1第3日曜礼拝後に集まり、半年位かけて岩波文庫版の上巻に取り組む予定。初回はシニアも参加し、自由な雰囲気で感想を述べ合い、分かち合いました。専門的に学んでいる杉村兄と高村神学生からのコメントもあり、濃い内容でした。途中参加も一見客も歓迎!】

(むさしのだより2007年5月号より)