「教会の時間」 山口好子

『ゾウの時間 ネズミの時間』という本がありましたが、「教会の時間」というのもあるように思えます。単に、一年が週単位で飛ぶように過ぎていくことだけでなく、不思議な力で動かされていると感じる時間のことです。この「教会の時間軸」は驚きの世界にも通じています。それは私にとって、3つの恵みの体験で明らかとなりました。ひとつは今年6月1日~3日の「尊厳ある死~リチャード・グローヴス夫妻セミナー」、次に7月8日に終わった「東教区第13回宣教フォーラム」、そして7月13日終了した大柴先生の「牧会学」講義です。

リチャード・グローヴス夫妻のセミナーは、「死に直面する人が抱えるスピリチュアルな痛みについての学び」という内容で、初日から驚きの連続でした。<他者を癒す「ケア・ギヴァー」は、完璧である必要はない。それは神さまとの協働の業であり、最後は神さまが引き受けて下さる。ケア・ギヴァー自身も癒される必要がある>。セミナーでは毎日、癒しの儀式が行われました。それらは参加者一人ひとりの魂に深く響きました。目からウロコの『魂の癒しの旅』に、講師夫妻への感謝と喜びを分かち合いました。

次に宣教フォーラム。凄かったです。参加者が多かったことで話題になりましたが、準備会側の者たちには違う意味で凄いものでした。<フォーラムは運動体。当日だけが全てではない>。準備会は半年前から毎月一回持たれ、あーでもない、こーでもない、と喧々囂々(けんけんごうごう)、意見が飛び交い、みんなが主体でした。そして当日。準備委員はもとより来訪者の方々までが(ある方いわく)「船頭さん」と化したのです。しかし不思議なことに難破することもなく、宣教フォーラムは無事終了。私たちはみなが『キリストのカラダ』となっていたのでした。

最後に、大柴先生の「牧会学」講義。教会で礼拝説教される時とは異なり、「教師」としての先生の授業は多角的でとにかく面白く、引きつけられました。真摯な姿勢で授業を進められる先生の「熱意と包容力」・・・。講義を通じて生徒は、これぞ『魂を揺さぶられる旅』を体験したといえます。感謝。すべてを「教会の時間」の創造者「主」に感謝いたします。

(山口姉は昨年のペンテコステに受洗されました。以後、伝道委員会のメンバーとして、控えめな人柄ながらもエンジン全開の活躍中。特に、第13回東教区宣教フォーラムでは、むさしの教会代表の準備委員として企画準備の一翼を担われました。)

(むさしのだより2006年 7月号より)