「ウィーンの思い出(4)恩師に感謝して(1a)」 野口玲子

ウィーンの思い出(IV)~恩師に感謝して(・)                 フェルディナント・グロスマン先生(・)

野口玲子

1968年3月初旬にウィーンに到着して直ぐにフェルディナント・グロスマン先生のプライヴェート・レッスンが始まりました。グロスマン先生は75歳を過ぎた、小柄な〈お名前は「大男」という意味ですが〉にこやかな、でもちょっと隅に置けない!?という、洒落っ気のある先生です。先生はウィーン国立オペラ座の合唱指揮者を務められ、アカデミー・カンマーコーアというプロの合唱団を創立され、ウィーン少年合唱団の指導者、指揮者、総裁として名高く、宮廷顧問官の称号を授けられ、今はウィーン中央墓地の栄誉者墓地に眠っておられます。国立オペラ座ではリヒャルト・シュトラウス、トスカニーニ、など伝説的な名指揮者の下で合唱指揮者として活躍されました。

グロスマン先生に初めてお教えを受けたのは私が大学3年の1963年秋のこと、武蔵野音楽大学の招きで来日され、12月の定期演奏会のオーケストラとコーラスの指導と指揮をされたときでした。その後も相次いで来日され、モーツァルトの『レクイエム』、『ハ短調ミサ曲』、バッハの『マタイ受難曲』、ハイドンの『四季』など数々の優れた宗教曲を通して、響き豊かな正しい発声法で歌うことの大切さを教えていただきました。また指揮をされる先生の目の動きや輝きや、微妙な指先の仕草に私共は引き込まれ、まるで魔法にかけられたように声も楽に出て、導かれてしまうのでした。

先生は歌手ではありませんが、鋭く繊細な耳で私共の出す声を注意深く聴き、些細な違いでも即座に指摘され、的確な判断を下され、修正されます。そして何より“響き”を重要視され、心の微妙な変化を表現するために必要な、肌理細やかな声を要求されます。先生の発声法がすばらしいことを知っている多くの出版社が「先生の正しい発声法を本にして世に知らしめたい」と幾度となくお願いしたそうですが、先生は「万人に共通するような文章で読み取れる発声法についてはすでに多くの著作があるし、私にもそれ以上のことは書けない。要するに一人一人の歌声を聴いて、何処をどのように直すべきかを判断する一回一回のレッスンの積み重ねを通してしか、説明できないのだから」と、その都度断ってこられました。真に僭越ながら私もまさにその通り、と思います。レッスンは一期一会。出した声が消えた後に的確な注意を受けて、その違いを理解し、記憶し、それを筋肉と聴覚に正しく覚えこませて良い癖をつける、という勉強の仕方が大切なのです。

自分自身の声は永久に客観的に聴くことが出来ない、といっても過言ではありません。なぜなら、自身の声は身体の中から響いてくるので、聴き手の耳に届く声とは違うのですから。しかしそれを如何に客観的に聴くことが出来るようにしていくかが声楽の勉強としての最も大切な基礎ですが、大変難しいことです。器楽科と異なり、発声のレッスンは音楽大学では勿論のこと、プライヴェートでも最低週3回あります。それ以下ででは、本当の良い勉強ができないからです。それは一人で練習することが非常に難しいこと、そして一生懸命練習した挙句にもし間違っても、悪い癖がつかないうちに次のレッスンで治していただけるためです。ほぼ一日おきにレッスンを受けながら、音楽の本場での専門家の道への集中した勉強のシステムに驚きと喜びを感じながら、留学できたことへの責任の重さを更に痛感いたしました。

教養のためにと始めた声楽の勉強が私の思いをはるかに超えて、このように幸運に恵まれましたのは、真に神様の不思議なお力に導かれてのことと、心から感謝申し上げます。

(この項続く)

(むさしのだより2006年 7月号より)