“主にゆだねる”とはどういうことか、私はいつも考えている。考えているのだからゆだねていないのかもしれない。
『ルターの祈り』(石居正己編訳、聖文舎、p45)でルターは次のように祈っている。
「ああ私のキリストよ。すべての私の能力は無であり、すべての私の賢さは盲目で、 とんでもない愚かさでしかなく、すべて私の敬虔も生活も地獄に落ちるにふさわ しいだけです。ですから私は、自分自身をあなたの恵みにゆだねます。どうかあなたのみ霊に従って私を支配してください。私が自分で自分を支配し、賢明であろうとするいっさいのことを空しくし、私の分別や理性をただもう全く愚かなものとしてください。そして私をあなたのふところの中に保ってください。アーメン」と。
(ど)
(たより2011年7月号)