遠藤周作 『沈黙』
川上 範夫本著はカトリック作家、遠藤周作の代表作である。昭和41年、発刊されるや、カトリックはじめ、その他のキリスト教会でも論争が起り世間でも話題となった。
ストーリーは、ポルトガルから密入国した最後の宣教師ロドリゴ司祭が見聞し経験した日本におけるキリシタン弾圧の記録である。主な登場人物はロドリゴ司祭、後の上司に当るフェレイラ師、キリシタン弾圧の幕府の責任者井上筑後守、転びバテレン(棄教)貧農の男キチジローの四人である。時代設定は、ロドリゴ司祭の密入国を1643年としており、これは、フランシスコ・ザビエルの日本上陸(1549)のおおよそ100年後のことになる。本著は小説ではあるが、著者は膨大な歴史文献をもとにストーリーを構成しており、これはドキュメンタリーに近いものといえる。
幕府によるキリシタン弾圧は徹底しており、拷問は陰惨を極めた。併し、その中にあっても信仰を守り殉教した者は少なくない。併し、著者はこのような信仰の英雄について多くは語っていない。むしろ、転んだキチジローにこうつぶやかせている。「俺は生まれつき弱か。心の弱か者には殉教さえできぬ。どうすればよかか」と。又、当時の多くの日本人がキリシタンに対して抱いていた感情については、井上筑後守がロドリゴ司祭に語りかける言葉にある。「もらいたくもない品物を押しつけられるを有難迷惑と申す。キリシタンの教えを押しつけられるは、有難迷惑の品に似ておる」と。又、フェレイラ師(棄教、幕府の用人となる)はロドリゴ司祭に棄教を迫り、こうのべている。「この日本は底のない沼地だ。どんな苗もこの沼地に植えられたら根が腐りはじめる」と。併し、著者の最大のテーマはキリシタン迫害史ではない。神は何故みじめな百姓達に迫害や拷問の試練をお与えになるのか、信徒の呻き、司祭の血、神は自分に捧げられたこの様な犠牲を前に何故黙っておられるのか、この沈黙こそが本著の核心である。併し、その答えを著者は示していない。神の沈黙に対する「問い」は今後とも果てしなく続くに違いない。
(2011年 3月号)