野中広務、辛淑玉(シンスゴ) 『差別と日本人』
西山 和子この本は皆様も良くご存知の、元自民党幹事長野中広務氏と、コメンタテーターの辛淑玉さんとの対談である。その都度、辛淑玉さんが解説を加えながら話は進む。この親子程も年の違う二人が、何の気負いもなく、特に結論を出すということでもなく、事実をありのままに淡々と話し合っている。
野中氏は復員後、大阪の国鉄管理局で働く。勤務成績もよく、中学の後輩を同局に入れ面倒を見、自分の果たせなかった大学教育を受ける夢を、彼に適えさせようとする。しかしある時彼の口を通して、氏が部落出身である事が職場に知られ、状況は一変する。七転八倒の苦しみを味わった後、自分を知る出生の地、園部町に帰り、部落の人として生き、少しでも差別のない社会を作り出そうと決心する。町議、町長を経て政治の道を歩み始める。
一方辛さんは、昭和34年、東京の下町に生れる。在日挑戦人三世(自称)、国籍は韓国、18才になる迄に18回引越しをするという位苦しい生活の中で、日本人にも韓国人にも分らない在日コリアの悲哀をかみしめながら成人する。高卒後、昭和60年に、人材育成会社「香科舎」を設立、あらゆるメデアを通して、構造的弱者のために論説活動を続けている。
読書会当日、集った男女7名は、これ迄自分が生きて来た日本にこんな大きな差別がある事に、今更ながら驚きもし嘆きもした。「人間である事が嫌になった」という言葉が出て来たりもした。優越感を味わいたくてか、嫉妬心のためにか、この「暗黒の喜び」とされる、人を差別する心は、いつの間にか人間の心の中に忍び込んでくる。話は、世界中の差別の問題へと拡がった。
私は日頃理性では分っているつもりでも、ふと気がつくと、沼地に水がしみ出るように差別の心がわいている自分に気付き、あきれ、とまどった。話し合いの中で「先生 こんな自分を どうしたらよいのでしょうか」と牧師にたずねた。「十字架をふり仰ぐことですよ」と師は答えられた。
(2010年 5月号)