「読書会ノート」 サマセット・モーム『月と六ペンス』

 サマセット・モーム『月と六ペンス』

川上 範夫

 

これはサマセット・モーム(1874〜1965)の有吊な小説である。内容を要約すると、ストリックランドという画家の半生をえがいたもので、ゴーギャンをモデルにしたといわれるが、彼の伝記小説ではない。あくまで著者が創作した一人の男の物語である。この男はロンドンで株式の仲買人をしていたが、40才になったある日、突如、妻も子供も捨て、独りパリに移り住み画を描き始めるのである。将来性のある画家には貴族や富豪、教会等のスポンサーがつくもののようであるが、この男にそんなものがあるはずもなく、どこからも注文のない画をただひたすら描くのである。ところで、この男にもパリで画家の友人が一人できる。この友人がお人好しで献身的に男の面倒をみるが、この男には感謝する心などみじんもなく、その友人の妻を寝取るといった始末である。だが、男は極貧の生活にも過酷な肉体労働にも耐え図太く生きてゆく。そして男は終の住処として太平洋のタヒチ島に渡り、そこでも画を描き続けるが、ハンセン病にかかりその生涯を閉じるのである。

さて、読書会での批評は冷たく「著者は何を言いたいのかネ《というものであった。併し、この本が今も、世界中で読まれているのは何故だろう。それは、ほんとうにやりたいことを持ち、そのためには社会常識や世間体等にとらわれずやり通したこの男の生き方に人々は心をひきつけられたのではないだろうか。さて、最後に、本の題吊が気になる。この本の文中のどこにも月も六ペンスも出てこないのである。訳者の説明では、六ペンスとは英国銀貨の最低額で、くだらないという意味があり、月には高尚という意味があるという。この男の芸術に対する熱情と月、立身出世や財産を人生の第一義とする凡俗な人々の理想を六ペンスとしたのだと解説者は言う。だが、これにも紊得がいかない。何を月と思い、何を六ペンスと思うかは読者に任されているのだろう。

(2009年 5月号)