「読書会ノート」 国木田独歩『牛肉と馬鈴薯 酒中日記』

 国木田独歩 『牛肉と馬鈴薯 酒中日記』

堤 毅

 

学生時代自然主義文学の独歩の作品で読んだのは”武蔵野に散歩する人は道に迷うことを苦にしてはならない…” の『武蔵野』のみであった。この年になって『牛肉と馬鈴薯 酒中日記』を読む機会を得た。

一読驚いたことは16の短編中7編が結末で中心人物の自殺や死亡で終わっていた。38歳で夭折した彼の後期作品は暗いと言われているのもむべなるかなである。

『牛肉と馬鈴薯』について。之は明治の青年達の人生観論議である。牛肉と馬鈴薯という漠然たる比喩の示す所を敢えて独断して前者を実際派、後者を理想派(詩人派)とすれば、この青年たちは殆ど牛肉派である。

理想は則ち実際の付属物である(p27)
(一部北海道熱の青年はルーテルの入信の動機に触れているが(p46)馬鈴薯派と牛肉派の中間である。)

私は明治の青年はもっと理想派が多いと思っていた。また明治の文学者でキリスト教の受洗者が後年変節してしまう人が多いのは何故であろうか?

『酒中日記』について。気の優しい主人公に対比される悪婆の母親。母親により強奪された校舎建築寄付金100円と拾得カバンの金はなんとか校長退職金300円で解決されたが道徳的には釈然としない。

私は寧ろ本題でない独歩の軍人感に注目する。日清戦争時から軍人を婿に持ちたいという民間人の熱望の反面下士官以下の兵士の女性翫弄振りに触れている。この時代に「軍人とは一種の愚人なり。」とまで言い切った独歩の真面目な態度には敬服する。

(2005年 2月号)