福永武彦 『草の花』
石田 常美人はみな草のごとく、その光栄はみな草の花の如し。
この作品の扉にはペテロ前書の一節が記されています。聖書にはさらに「草は枯れ花は散る」と続いています。儚く美しく、無常観に満ちた一節です。1954 年に出版され福永武彦の唯一の私小説とされ、また代表作のひとつ。極めて美しい文体で描き出された、非常に理知的な青年の、そのゆえにひたすら悲劇的な結末にひた走る魂の孤独が胸を打ちます。
“私”は冬のサナトリュムで青年汐見と友人になり、彼が自ら希望して極めて危険な手術に赴く折、二冊のノートを託されます。彼の死に直面して“私”は「あの手術は基督教の洗礼を受けていた汐見が故意に自分を殺す為の方便ではなかったか」との思いを強くします。ノートには18才の春から24才の冬までの心の軌跡が記されていますが、此処サナトリュムでの重症患者としての希望のない日々を過ごす現状から目をそらして、その目を過去に向けることにより昔生きた足跡をもう一度歩くという意図で書かれたものでした。このような行動がどんな精神作用を招くか私としてははかり知れなくて此処に随筆集より著者コメントを付け加えさせていただきます。
「僕の今度書いた長編『草の花』もひとつの失われた青春の物語だが書いている間この青春を生きていた。僕は自分の青春をもまた架空の青春をも、それをもう一度生きようとは思わないが、振り返ってそれが失われたとも思わない。魂が成長する時にそれは外界からの、如何なる圧迫にもかかわらず成長するのである。ぼくはサナトリュウムに7年ばかりいて多くの年少の友人達が苦しむのを見た。 …これらの不幸な青春もやはり生きるに値するものだ。彼らが生き残って過去を振り返った時にたとえ失われた青春でもそこに一人一人に固有の意味があったと彼らは気がつくだろう。そして人生とは常に何者かを失いつついくことだと知るだろう。」
(2004年6月号)