会田雄次 『日本人の意識構造』
堤 毅日本人論・日本文化論の氾濫の中で読書会はこの一両年『日本人とユダヤ人』(山本七平)・『菊と刀』(ベネディクト)を読んできたが之に次ぐ三冊目の日本人論である。
読書会でも話題になったが日本人は自国が外国の目にどう映っているかをひどく気にする。外国人の言うことをむやみに有り難がるのではなくその真贋を見分けることが必要であるが日本人の目から見た子供を危険から守る時の親の姿勢の差、日本蜜蜂と西欧蜜蜂の行動の差等大変ユニークな視点が例示されている。
本文中にあるアメリカの階層制では、第一層WASP(アングロサクソンを中心とするピューリタン)、以下カトリック白人層、ユダヤ人に次いで第四層が我々黄色人であるが、階層による劣等感が日本人論ブームの一因ではないか。
明快な説明のわりに結論がはっきりしない嫌いがあるとの指摘もなされたがこの本の書かれた時期(70年安保)から見て学者としては精一杯の表現であったと思われる。ただ136頁の文章を挙げておく。「わたしたちはわたしたちの道を歩めばよい。いや歩むべきなのだ。ただ自戒としてたえず広く世界に目を開き自分たちの『世間』が独善に陥ることがないように注意を怠らなければよいのである。」
著者の炯眼を一二。私は戦後公務員になった者であるが官庁の労働組合から「近い将来に革命が起こって君らはパージだ。その時は組合の天下だ。」と長く脅かされたが然し結局著者の述べるごとくそうはならなかったのである。当時としては勇気ある発言である。
また「親子関係では戦後派は欠損状態以外のなにものでもない、そこに人倫関係は成立しないだろう。親不孝などというものでなく、人間としての親子関係は死滅すると私が予測する所以である。」(173頁)いみじくも30年前に現在を洞察している。
最後に著者はキリスト教のシンパではないと思われる。というのは「子供の時から深い宗教的雰囲気に包まれ、そういう神への本能的な親近感を持たないと、人は唯一神の信仰に容易になじめないものだ。大人になって回心したところで、たいへん観念的なものになってしまう。現在の日本のキリスト教徒の多くが、ヨーロッパ人の信仰とはまったくちがって頭の頂点でだけの信仰となっている理由である。」 なかなか厳しい発言である。
(2004年2月号)