大江志乃夫 『靖国神社』 岩波新書
野上きよみまず教会員として「靖国神社に関する教団の統一見解」を勉強しようと云う事で、その参考資料の一つとして『靖国神社』を取り上げた。2003年最初の読書会は、日頃読書会に出られない方も多数参加して下さり、熱い熱い意見交換で盛り上がった。
戦前派、戦中派、戦後派とそれぞれ受けてきた教育があまりに違った為だろうか、決して交わる事がない意見が述べられた。この感想文も各々の思いが深く、なかなか書き手が決まらず、とにかく、「靖国問題」を考え話し合う時を持った事実を記録に残す事にした。
以下読書ノートより抜粋。
○愚かな第二次世界大戦の戦死者を(A級戦犯を祀った事は残念だったが)純粋に慰めたい。
○人間を非人間化する悪霊のような力が働いている。「黙れ、この人から出てゆけ」としかりつけて我々を解放しようと関って下さるキリスト。このキリストに従ってゆくためにはどうすればよいか。考えさせられた。
○なんとなくうさんくさい天皇制、靖国神社と思っていたもやもやが、大江氏の『靖国神社』を読んですっきりした。国家が宗教を利用する事の恐ろしさ。
○大江氏が生涯をかけて、第二次世界大戦における日本の戦争への道と戦後の平和の道を考えつくして、この様な著作を書かれ、平和を求める私達の思想の導き手となって下さっている事に感謝。
○出席者の殆どは「教団の統一見解」に全く同調されており、戦中派の私個人は全くの少数派であった事に驚かされた。少数派といえども主張し続けて行かざるを得ない。
○私はこの際敢えて述べれば、神概念の異なるキリスト教団は、靖国神社が宗教法人ゆえライバルに口出したくなるが、仏教徒や他教徒の如く、皇室、天皇制をあげつらうべきでなく超然とすべきではないか。
この報告を不満に思われる方が多数おられるだろう。どうぞこの本を熟読なさり、あなたの靖国問題を今一度考えてみて下されば幸いである。
(2003年 5月号)